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今年はわりと大御所のロックフェス参戦が目につく。

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ロッキンの桑田佳祐やB’zもそのひとつだし、ジャニーズ畑でも関ジャニや堂本剛かま参戦する(した)わけで、今年は色々とフェス側も気合いの入れたブッキングをしがちである。

これは、例年打診をしており、その打診がようやく実ったのか、たまたまフェス側が気まぐれに打診をしたらオッケーをもらったのか、その辺はよくわからないが、いずれにせよ、今度も畑違いのアーティストのロックフェス参戦が増えることは間違いない。

実際、日本の音楽で一番盛り上がっているのはロックとかフェスとかなわけである。

インディーズバンドが早々とメジャーデビューすることが多いのは、メジャーデビューさせて採算のとれそうなアーティストがバンド以外ではあまりいないから、というのもあるわけである。

仮にポップスという足についているアーティストもよりロックフェスと親和性の高い活動をしがちなのも、ロックフェスを味方につけることが今の音楽業界で生き残る賢い選択だからなわけである。

ところで、今年はロッキンが桑田佳祐やB’zなんかをブッキングしたり、ポップス畑のブッキングが目立ったものだから、今年のロッキンは豪華だけど、こんなのもはや「ロックフェス」じゃないなんて非難されたりしたわけだが、ひとつ気になることがある。

そもそも論として、僕らは桑田佳祐やB’zをもてはやしているが、本当にそんなに凄い人たちなのだろう?

確かに彼らがライブハウスでライブをしたらプレミアチケットとして市場に出回ることだろうし、ワンマンライブをドームでやっても即完させる人気を誇る。(BUMPやセカオワですら、ドームキャパになれば即完はなかった)

90年代はミリオンヒットを連発していたし、彼らのトータルCDセールスと、そこで稼いだ金額を聞けば、呆気にとられるレベルの歴史を刻んできた。

要は、いまさら一生食い扶持に困ることはないアーティストなわけで、フェスに「出たい」というよりは「出てもいいよ」的な上から目線感がある(ような気がする)アーティストなわけである。

だから、彼らがフェスにでると「まじかよwwww」となり、今年のロッキンはなんだか豪華だな〜なんて感想を持つようになるわけだ。

が、逆に考えてみてほしい。

彼らは、なぜロックフェスに参戦するのだろうか。

ロックフェスの出演がどれくらいのお金になるのかは正直よくわからないが、彼らからしたらワンマンライブをする方がお金になることは間違いない。

それでも、彼らがわざわざロックフェスに出る理由とはなんだろうか。

端的に言えば、普段は自分のライブに来ない人にライブを見てほしいから、となると思う。

なぜそんなことを考えるのかといえば、一番にあるのは、自分の音楽の「届いてなさ」にあるのではないか、なんてことをふと思う。

B’zの名前を知ってる人なら「ウルトラソウル」がどんな楽曲なのかは大体の人が知っていると思う。

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では、彼らがここ5年間にリリースした楽曲で、ひとつでもどんなものかを知っており、それをしっかりと歌える人はどれだけいるだろうか?

よく、CDは売れなくなったという話がある。

これに対して、音源はYoutubeで聴けるようになったからとか、配信で購入するようになったからとか、色々なそれらしい理由をつけてその現象を説明するわけだが、売り上げ以上に「音楽の力の低下」が如実になっているような気がするわけだ。

特に90年代のミリオンヒットを連発していたアーティストは、自身の音楽の売り上げ云々より、その音楽が「届いていない」ことを実感するわけだ。

昔の歌の方が圧倒的盛り上がるオーディエンスをみれば、嫌というほどそれを実感することだろう。

もちろん、B’zや桑田佳祐の新曲を「みんなが知ってる楽曲」じゃなくならせた理由は、メディアの変化にあるという指摘が出てきやすい。

昔はテレビが全盛期だったから〜とか、今はスマホが主力で、みんながみんな同じコンテンツを消費することはマレだから〜みたいな話になりがちなわけだ。

であれば、問いたい。

なぜ、今の若い子でも、B’zの「ウルトラソウル」であれば、ちゃんと認知して、歌うことができているのか、を。

もしテレビを見なくなったから彼らの歌を知らなくなったのだとすれば「ウルトラソウル」だって、知らない歌にならないとおかしい。

が、「ウルトラソウル」の認知度は不変なように思われる。

じゃあ何か?

スマホを開いていたら勝手に「ウルトラソウル」が流れるようになっているのかといえば、そんなことはないと思う。

つまり、「ウルトラソウル」には音楽的な力があり、新曲には音楽的な力がなかった、というふうに考えるのが妥当だと思う。

なぜ、作る歌に力がなくなったのかといえば、簡単に言えば、彼らがおっさんになって感性が鈍ってしまったからとしかいう他ない。

世代が変われば、どうしても自分と離れた世代には刺さりにくくなる、ということを誰よりも痛感したのは、もしかしたら桑田佳祐かもしれない。

ソロになってから、なぜかドラムだけは打ち込みでしているのだって、そういうことに対する足掻きのひとつのように見えるわけだ。

あるいは、アーティストは変わるが、長渕剛が新曲で完全にEDM調に変えてしまったのも、これと通ずる話のような気がする。

世代のせいにするのは簡単だし、もう自分はおっさんだからと諦めるのは簡単だけど、俺たちの楽曲にはまだまだ「力」はあるし、若者を興奮させることだってできるんだ!

それを証明したくて、彼らは夏フェスに参戦したのではないか。

そんなことをふと思ったわけだ。

が、肝心の若者たちはその頃、岡崎体育とか岡崎体育とかに夢中になるのだとしたら、そのとき彼らはついに白旗を揚げるのかもしれない。

まあ、テレビで歌えばそれだけで「届く」時代は終わりつつあるからこそ、フェスもひとつのメディアとして捉え、現場に足を向かわせたということなのだろう。

これで、桑田佳祐もB’zも新曲ばっかりのひねくれたセトリにして、お客さんからブーブー文句を言わせたとしたら、本当のロックスターだなんてことをふと思う。

たぶんしないだろうけど。

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