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サマソニ2017大阪に行ってきた。

僕は1日目は諸事情で行けていないので、二日目のレポートのみとなる。

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一応、観た順にレポートしながら、その時思ったこともテキトーに追記していくつもり。

その辺のライブレポートのような誠実さはないので、テキトーに読んでもらえれば。

DAOKO

まず、僕が最初に観たのはDAOKO。

米津玄師とのコラボ曲「打上花火」により、その知名度を爆発的にあげた女性ラップシンガー。

エヴァの監督でお馴染みの庵野が制作統括を務めるスタジオカラーの作品の音楽に参加したり、女王蜂の「金星」でラップーしてたりと、その存在自体は知ってたんだけど、ライブで観るのはコレが初めて。

で、「打上花火」がバズってるし、もうちょい人がいるかと思ったら、まばらな感じで。

まあ、トップバッターだし、そんなものなのかなーって思ったり。

そういや、考えたら「打上花火」って米津とのコラボ曲だけど、DAOKOも米津もニコニコ動画出身のアーティストなわけで、ネット→リアル、そして、その現場のスケールが国内→海外なっていくあたり、ネクストジェネレーションな人だなーと思ったりで。

で、この子、20歳っていうんだから、凄いよね。

さて、DAOKOが出演したのはソニックステージっていう屋内のステージで、野外フェスのサマソニで唯一涼しくライブが観れる空間なのだが、屋内故に照明もそこそこにええ感じの演出。

眼を切り裂くようにレーザー照明をじゃきんじゃきんと飛ばしたり、打上花火の時は、打上花火っぽい照明をステージ上に映し出して、ドヤッ!な感じの演出したり。

途中でダンサーでたり、ラップしたり、歌物したり、カバーしたり。

ひとつのライブで色んなことを詰め込んでるなーって感じで。

まあ、正直、のめり込んだり魅力されたりするほどではなかったんだけど、将来性を感じるライブだったっていうアレ。

LANY

そのままソニックステージに残って、LANYというロサンゼルスのエレクトロニック・ポップ・バンドを観る。

ソニックステージは屋内なので、日中でもスクリーンと照明が効果的に使えるのがポイントで、わりと幻想的な空間が作りやすく、故に、彼らのエレクトロニック系のサウンドがよく合うわけだ。

ってか、LANYが出てきたら、わらとキャーキャーと女性の黄色い歓声が聴こえるのだが、このときふと思うのだ。

そうか、今日のサマソニの裏テーマのひとつが、「アイドルとバンドとその中間」がテーマだったんだなーと。

女性はアイドルやポップアイコンの人が多かったのだが、男性でもそれは同じだったのだ。

この日、出演したのは5SOS、UVER、そして堂本剛(まあ、彼は事情により出演できなかったが)。

バンドの装いでありながらもアイドル性もあるような人たちを呼ぶことで、バンドをアイドル視して観るような、普段はフェスには足を運ばない女性客を招聘して、トリはパリピ御用達モードにさせたEDMセトリ武装のカルヴィンを観せることで、とりあえず踊ってもらって満足してもらうという算段があったのではないか?(ノスタルジーロックファンはリアムに流し、もっとミーハーは欅坂に流すわけだ)

まあ、それは半分冗談にしても、アイドル化されているものの、本当は凄く実力があり、音楽のレベルの高いアーティストを上手く融合させることで、日本の音楽シーンを新たなモードに押し上げようとしていた狙いはあるように感じたわけだ。

そんなことを思うくらい、LANYのメンバーは甘いマスクで、一部の女性ファンがキャーキャー叫んでいた。

特にボーカルのポールがステージから降りて、観客がいる柵までやってきたときの叫び声はなかなかに微笑ましいものがあった。

でもね、それでも、やっぱり彼らのライブ、純水にカッコよかった。

ギター、キーボード、ドラムっていうわりと変則的な編成で、音数もそんなに多くないバンドなんだけど、ライブで観てもしっかり映えてて、むしろ音源よりも普通にアクトが良くて、なんやねんお前らカッコいいやんけこの野郎ーって思ってみてました。

COMMUNIONS

実は今日のトリ、誰で観るかでずっと迷ってて、EDM武装したとはいえ、おそらくはこの10年間で来日することはもうないであろうカルヴィン・ハリスを観に行くか、僕にとってはノスタルジーの対象でしかないリアム・ギャラガーを観に行くかでずっと迷ってた。

で、彼らのライブを観て決心がついたのだ。

やっぱり僕、ギターロックが好きだわ、って。

先ほど出てきたLANYもそうだし、最近きているアーケードファイヤーもそうだし、リンキンのラストのアルバムだってそうだったし、日本で言えば、ゲスの極みでもそうだけど、今のバンドはいかに安易なギターサウンドから脱却するか、というところに腐心をしている。

おっさんラウドファン御用達であるはずの、あのフーファイターズですら、新作ではポップ・プロデューサーであるグレッグ・カーステインとタッグを組んでいるのだ。

極端なこと言えば、ハイスタがコバタケとタッグを組むくらいの話である。

逆に言えば、それくらい海外ロックシーンは<ポップ>の存在を無視できなくなっているとも言える。

そんな世界のロックシーンの只中で、何の屈託もなく、ガレージなギターサウンドを掻き鳴らすCOMMUNIONSのライブ観て、思ったのである。

なんだかんだ言って、俺が好きなのこれだわ。(というわけで、カルヴィンはどうでもよくなって、ノスタルジー上等でリアムを選択するわけだ)

ちなみに彼らの中核メンバーはレホフという兄弟なのだが、兄弟がバンドの中核を担う時点で、ちょっとオアシスとも通ずるものがあるわけで。

まあ、COMMUNIONSはデンマークのバンドで、デンマークの音楽情勢が具体的にどうなってるのかはよく知らないんだけど、世界の若手バンドを見渡してもここまでストレートにギターロックをしてるバンドは彼らぐらいしかいないのではないか?と思うのだ。

で、ライブの話をすると、演奏はそこまで上手くないんだけど、面白いもので、それが良くて、なんだかんだで魅力されちゃうんです。

ちょっとしゃがれた感じのボーカルがいいのか、荒々しいギターサウンドが良いのか。

どちらもあるのか良いのかもしれない。

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ゲスの極み乙女。

色んなライブを観てきたけど、ドラマーがドラム叩かずにマイク握ってステージを歩きまわったり、曲の中盤までドラム叩いていたのに途中でドラムを叩くのをやめて(ステージ袖からサポートのドラマーが登場する)、ドラムはサポートに引き続き、ドラマーはそのまま曲終わりまでハンドマイクを持って歌い続けたりするというのは初めて観た気がする。

また、「私以外私じゃないの」はクラブアレンジされてたりしていて、カルヴィンを少し意識していたのか、はたまた今日のサマソニの空気を意識していたのか、ゲスのテイスト全体も少しいつもと違うように感じた。

絵音は一切ギターを弾かなかったし、そのせいでセトリもかなり特殊なものになっていた。

シングル曲以外のものが多かったのもあるけど、邦ロックでとりあえず盛り上がってやるぜー勢の出鼻くじくような、なかなかに痛快なステージまわし、サウンド展開だった印象。(件の「私以外私じゃないの」のアレンジもかなり日本のロックファンの好みを外したようなアレンジにしているように感じた)

ただ、「キラーボール」とか「スレッドダンス」を演奏したあたり、別に躍らせるつもりがなかったわけでなく、カルヴィンのEDMで踊るような人たちにも刺さるような「躍らせ方」がしたかったのかなー、せっかくパリピ仕様なロックフェスに出るし、みたいな感じだったのかなーと思ったりで。

ちなみに、ナルバリッチの半分しか楽器の数がないのに(ナリバリッチは7人体制の6つの楽器を使用、ゲスは3つだけだった)ナルバリッチよりも音の厚さを感じさせる辺り、ゲスのメンツの演奏力の高さには脱帽する。

特に、ちゃんまりと課長は、本当に強いなーと思う。

電気グルーヴ

観たんだけど、正直、個人的には特筆することなし。

いや、よかったんだけどね。

ナルバリッチ

若いし、これから頑張れーって感じ。

でも、改めてSuchmosとは全然違う音楽だよね彼らは、って思った。

5SOS

ワン・ダイレクション的なアイドル性も兼ね備えたロックバンドという感じの彼ら。

振る舞いひとつひとつで黄色い声援が飛び交うあたり、イケメンバンドはやっぱり違うなーなんて思うけれど、わりと音はしっかりしていて、この辺りは流石というしかない。

BLOOD ORANGE

言葉にすると本当に稚拙になっちゃうけど、本当にすんごい音が綺麗で、え?ここ?あの電気グルーヴと同じ音が鳴ってたステージ?って疑いたくなるほどに響く音が全部綺麗で。(電気グルーヴは正直音がうるさかったのだ)

ただ、疲労もあって、正直、聴いていると眠たくなっちゃうんだけど、眠たくなるほどの音楽と言えば、その音のレベルの高さがわかるんじゃないかと思うのだ。

クールなんだけど、どこか肉感的で、都会的なんだけど、どこか神秘的で。

いま自分がいるのは大阪であるということを忘れさせるくらいに、その音楽でどこかに連れ出されるような感じだった(睡魔的な意味合いではなく)

だから、ガラガラのステージを観ると、勿体無いなーなんて思ってしまうし、こういう音楽もそれなりに需要が出て欲しいなーなんて切に願うばかりなのでした。

PHOENIX

実質、トリやん!っていうくらい華やかな照明とモニター演出。

爆発的な照明の後の、一瞬でブラックアウトする照明演出はマジでカッコ良すぎて、夕方→夜のこのアクトを完全に支配していた印象。

ボーカルが客席に降臨し、オーディエンスが彼めがけて詰め寄り、後方では紙吹雪の嵐が焚かれていくその様はただただ圧巻で。

で、このように演出自体が洒落てるんだけど、その演出に負けないくらいライブと良くて、(若干ベースの音がうるさかったけど。これは僕がアンプのど真ん前にいたからかな?)若干ケラー二を観ていたからここにきていて、出遅れてしまったのが悔やまれるくらいのパフォーマンス。

フランスのバンドはダフトパンクだけじゃないんだなーと痛感した一幕なのでした。

リアム・ギャラガー

40を過ぎたおっさんが、ステージ上をのそりのそりと歩いてくるだけなのに、「ああ、本物のリアムがこんな近くにおるなんて」って思い、不思議と涙腺が緩んでくるのだ。

先ほどのPHOENIXとは違い、彼のライブは余計な演出はしない。

ただ歌うだけなんだけど、そこにただ奪われる心。

リアムが使える楽器はマラカスとタンバリンのみなので、それをシャカシャカ振るのだが、凶暴というか乱暴者なイメージが強いリアムであるが、少なくともこの日の公演では、妙に丁寧にマラカスを振っていて、意外と繊細な一面があるなーと思ったりする僕。

楽器を持っていないときは、手を後ろに組んで、前かがみになりながら、仁王立ちで歌うわけだが、やっぱりリアムはこの歌い方だよなーって思うし、これがまた不思議とかっこいいのだ。

で、カッコいいなリアムであるのだが、それに対比するかのように、意外と萌えポイントも多くて。

数日前は日本語は喋れないと歌っていたリアムが「アリガット」とか「オッサカ」と、思いっきり日本語を発話したり、D’You Know What I Mean?をやる時に、(MVを意識したかのように)リアムがこっちを指差して敬礼してくれたりと、おお!リアム!なんだその愛敬は!!となるわけですよ。

こういう部分も味方につけるからこそ、ロックスターなんだなーと思ったりもして。

ラストのワンダーウォールを演奏するんだけど、僕も気がついたら歌ってしまっていて、「歌う」も「ダイブ」と同じで、気がついたら起こってしまってるものなんだなーと改めて実感。

そして、そんな時間もあっという間に過ぎて、リアムは「カミングスーン」の言葉を残してステージ袖に去っていく。

恍惚と切なさを感じながら、結局、僕のロッキンライフはノスタルジーとともにあるし、どれほど時計の針を進めても、そんなノスタルジーな思い出を破砕することはできないんだなーと実感した、そんな瞬間なのでした。

ところで、リアムのライブも含めて、撮影している人は確かに多かったし、シンガロングを嫌う日本のフェスシーンにおいて、リアムのライブでは僕もすっかり歌っちゃったりしたわけだが、本当にライブに熱を浮かされると、ライブマナーなんて本当にどうでもよくなるし、それを抜きにしても、撮影に関しては僕は一切不愉快を感じなかった。

まあ、お前の価値基準なんてどうでもいいっていうのはあるかもしれないけど、やっぱり、撮影に関してはいちいち「これごとき」で論争するのはアホみたいな話だなーって個人的には思った。

だって、やっぱり考えとしても古いもん。

そして、それはマナーだけではなく、音楽にも日本は「止まったままでいる」。

結局は、洋楽ファンのほとんどは何十年も前の音楽に熱を浮かされているし、カルヴィンはひと昔前のEDMを垂れ流しているし、フェスのルールは更新されることなく、旧態依然のものを守り、新しいものには基本的に「No」を突きつける(これは音楽に限らず、ポケモンGOなんかの新しいカルチャーにも言えると思う)(また、バンドで新しい音楽を志向しているセカオワやゲスがなぜか舐められがちな音楽世論にもおかしさを感じる)

ただですら、日本は批判がくるとそれを生かすというのではなく、規制・自粛の流れになってしまうなかで、撮影するという要請がここまできているなかで「自粛」「禁止」だけを標榜とするのは、日本的思考すぎてナンセンスなように僕は感じてしまった。

世界の流行を追えばいいというものではないし、撮影している人間全てを擁護するというわけでもないけど、純粋に日本のカルチャーと、その周りを構築するルールに関してはもう少し「更新」してもいいのではないかなーとは改めて感じた。

満足がある一方で、どことなくぽっかりとした穴が空いたのもまた事実で、(日本人アーティストでした満杯にならないオーディエンスを観てもそれは思うことだったりもして)そのうちサマーソニックというイベントもなくなるんだろうなーなんてぼんやりと思いながら、帰路についた次第である。

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