「涙を流す前」「繋いで帰ろう」「そばにおいで」「今夜 終わらないで」

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これは某曲の歌詞を抜き取って並べてみたものである。

さて、これ、誰の歌の歌詞かわかるだろうか?

このキーワードだけだったら、スイーツ臭のある、例えば、逢いたくて震えそうな歌姫が歌っても違和感のなさそうな歌詞である。

別れが差し迫った男女ふたりが、別れを惜しみながらも、一緒にいれるギリギリの時間まで身体を寄せ合っているような、そんなイメージ。

言ってしまえば、まるで西野カナのような。

だが、答えは違う。

実はこの歌詞、書いたのはアラサーになったケータイ世代の歌姫の歌詞でもなければ、恋愛ソングを量産しているようなソングライターの執筆曲でもない。

じゃあ、誰がこの歌詞を書いたのか?

聞いて驚くなかれ。

この歌詞は今まで恋愛ソングなんて一曲も書いたことがない、ゴリゴリムキムキのおっさんが紡いだ言葉なのだ。(そしてこの歌は別に恋愛ソングでもない)

既婚の身であり、子どもも二人授かっていながら、ここ最近新しい恋人ができて、人前憚らずにその恋人とイチャイチャしまくっているおっさんが書いた歌詞なのである。

TOSHI-LOW。

この歌の作詞家の名前である。

HiGH&LOWではない。

TOSHI-LOWである。

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種明かしをすると、冒頭のフレーズ郡はBRAHMANの新曲「今夜」から借用したものである。

最近のBRAHMANは日本語歌詞の楽曲が多いわけだが、ここまでシンプルで、ともすればただのポップスになってしまいそうな言葉を惜しげなく使用した作品は、これが初めてなのではないかと思う。

この歌は「あゝ荒野」という映画主題歌であり、BRAHMANとしては初めて映画のために書き下ろした作品となる。(まあ「其限」もあるんだけど、あれは自身のドキュメンタリー映画の主題歌だし、「其限」という楽曲のドキュメンタリー映画でもあるわけで、少し性質が異なる)

映画のための書き下ろしということもあってか、「今夜」はBRAHMANの歌でありながら、すごく優しいナンバーであるし、歌詞もすごくシンプルになっている。

前作「不倶戴天」が怒りを滲ませまくった楽曲だっただけに、その優しさが際立つナンバーとなっている。

楽曲の雰囲気で言えば「placebo」なんかと通ずるものがあると思う。

「placebo」と言えば、フェスで細美武士と共演すると、二人で客席に入った状態で楽曲を披露することも多々あるナンバーだが、今作「今夜」はBRAHMANの楽曲としては、初めて公式に細美武士をコーラスに迎えた楽曲となっている。

で、細美武士をコーラスに迎えたのには、おそらく意味があるんじゃないかなーって思っていて。

「今夜」は平たく言えば友情の歌であり、「あゝ荒野」も原作はともかく、映画版では友情がひとつのキーワードになっている作品である。

意図的であれ意図的でないのであれ、TOSHI-LOWの友情の象徴とも言える存在である細美がコーラスのパートナーとして選ばれたのは、必然だったんじゃないかなーって思うわけである。

「今夜」が優しいナンバーだと感じる理由は幾つかあると思う。

個人的に聴いていて一番感じたのは、TOSHI-LOWの「placebo」から「今夜」にかけての、変化なのかなーと思ったりして。

そもそも「placebo」という楽曲は、TOSHI-LOWの10代の頃の、亡くなってしまった友達のことを書いた歌である。

その友達は「placebo」を作る10年くらい前に亡くなったそうだが、TOSHI-LOWが言うには、メジャーでCDを出したとか、インディーですげーCDが売れたとかそういう良いことがあった日の夜には必ずその友達が夢の中に出て来て、「お前なんなの?」「そんなことやりたかったの?」「お前パンクスって言ってたんじゃねぇの?」「世間にそうやってこびる為に音楽やってたの?」って責められる夢を見てきたのだとか。

そんな友達に対してケジメをつける歌として書いたのが「placebo」であり、(そもそもplaceboという言葉が気休めとか偽薬という意味の言葉である)それ故にバンドのアレンジはめちゃくちゃに揉めたらしいけど、いずれにせよ言えるのは、「placebo」はとにかく思い入れの強い『友情の歌』だったということである。

で、そこから何年か経って、細美武士がこの歌を弾き語りでやりたい、自分でコーラスは考えてきたからと言い、一緒に歌おうという話になる。

で、アコギで弾き語りしながら細美コーラスで披露した「placebo」を他のメンバーが聴くと、ドラムのロンヂがすごく良いよと褒めてくれて、「このアレンジでこの曲は完成した」とまで言ってくれたのだとか。

だから、以後は細美も入れて、この曲を披露することがデフォルトになったとのこと。

そんな「placebo」。

この歌は友情の歌だったわけだが、その友情は本質的には重たいものであり「責任」とか「後悔」とか、後ろめたいものを引き連れて滲ませた歌だったように感じる。

けれど、「今夜」で語る友情には、そういう重さはないように感じた。

友情の意味とか、人と人との繋がりの大切さとか、色んなことを改めて理解した上で述べた友情だからこそ、そう感じたのかもしれない。

その正体を平たく言えば、「優しさ」という言葉に還元されるんじゃないか、と。

ところで、「今夜」の歌詞には「あの街」という歌詞が出てくる。

映画になぞらえたら、「あの街」は主人公のシンジとケンヂが出会う東京の新宿になるのだろうが、TOSHI-LOWと細美の話で言えば、福島に行き着くのではないかと思う。

それこそ地震や津波で、人命という宝物をなくしてしまった街で、それまでは友達と呼ぶに値しなかった人たちと友情を育んだり、たくさんの人と縁を結んだりすることで、違う宝物を見つけ、そこが誰かの宝物となるべくライブハウスを作ったりしたわけで。

失った人や物もたくさんあったけど、だからこそ見つけたものも、新しく手に入れるものもあるわけで、失ったことに対する後悔や責任を持つことも大事だけど、それ以上に新しく手にしたものを大事にすることも大切なんだよ、なんてことを訴えているような気がした。

そしてそれは「あゝ荒野」という物語にも繋がる話だったりするわけで。

「あゝ荒野」の登場人物も全て、何かを喪失することで何かを見つけた人たちが、夜には涙を流しながらも、それぞれの「宝物」を見つける物語だったりする。

生きる年数が増えれば、辛いことも増えるけど、その分大切なものだって見つかるはずで。

そんな苦楽な日々を乗り越えて40歳を過ぎたTOSHI-LOWが、何にも考えていなかった19歳の頃の友達に、「新しい友達ができたよ」って、紹介しにいくための歌なのかなーなんて思ったりしたのだ。

だから、今夜だけは朝まで眠ってしまいたいのかもしれない。(だって、その友達とは夢の中でしか会えないわけだから)

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