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生きてたら自分の「アンチ」って出ると思うんですよ。

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アンチっていう方が微妙だとすれば、悪口とかネガティブな言葉を吹っかけるやつ。

絶対にこういうやつが出てくる。

まあ、ネガティブな言葉を吐かれて嬉しい人なんていないだろう。

当然、そういう言葉を言われたらすごく嫌な気分になるだろうし、僕も気を抜くとそういう「悪口を言う側」になるから気をつけなきゃなーって思ったりする。

それはさて置き、生き様に関して自分のアンチが出てきたところで、うるせえ!黙れって話になると思うんだけど、これが芸事になると少し話が変わってくる。

やっぱり自分のやっている芸事に対して、あるいは自分が生み出した作品に対して「アンチ」が発生するのは悲しいことだし、不必要に嫌われたくないって思うのが人間の性だ。

みんながみんな、川谷絵音みたいに強いメンタルで生きていけないわけだ。

だから、少しでもアンチなんて沸かないように生きることを選びがちで。

で、なるべくアンチを減らそうとしたら、その時に取るべき方法っておおよそ決まっている。

何か。

それは、なるべくハみ出さないようにすることだ。

意図的に人間の持つ感情を逆撫でしたり、人間の持つ醜い感情を炙り出して発火点にするような炎上商法ならともかく、おおよそのアンチはその芸事をしている人の「ハミ出しポイント」を問答無用に叩きがちである。

音楽業界なんてその典型のような世界で、既存と違うモノに対してはとりあえず「No」を突きつけがちである。それは音楽ジャンルやライブスタンスにも言えるし、ライブ環境周りの話なんかにも敷衍できる話である。

もちろん、誰かを明らかに不幸に陥れるような行動に関しては非難されてしかるべきだと思うけれど、これってそんなに叩かれること?って思うことでも、ハミ出していたら思いっきり叩くことがよくある。

ハミ出すというのは、アンチが沸きやすくなるのだ。

だから、アンチを減らすための最も効果的な対策が、みんなと同じことをしたり、差異を目立たせなくすること。これに尽きるわけだ。

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けれど、差異なんてなくしていった音楽が本当に面白いのか?

そんなことを思うわけだ。

もちろん治さないといけないものだってなくはないだろうけれど、本当にその差異は治さないといけないものなのか?って思うことが多いわけだ。

音楽をはじめとするあらゆる芸事において、みんなが差異をなくしてしまって、叩かれないことを武装した量産型になってしまったとしたら、そんなシーンを面白いと思えるのかっていう話。

思うんですよ。

アンチなんて沸いてなんぼじゃんって。

アンチが沸くってことは、それだけ自分をブランド化できているってことだと思うんだよ。

ハみ出す意義や勇気こそが芸事の本質だと思うし、そういう差異が個性になり得るから芸事って面白いし、ワクワクすると思うのだ。

アンチができるってことは、差異が生まれたことの現れであるわけで、今はものすごく叩かれやすい差異だったとしても、絶対にいつかその差異を個性と認めて評価してくれる人、褒めてくれる人、リスペクトしてくれる人って絶対に出てくると思うのだ。

そして、それは芸事に限らず、どんなことだって言えると思うのだ。

誰かの差異にかこつけて、イジメのようなことをするやつがいたとする。

そんなやつは色んなレベルでゴミだ。

性格もゴミであれば、そいつはどうあがいても量産型にしかなれないただのゴミだ。いつだって未来を面白い方向に導くのは、笑われてもその差異を磨き続けたハミ出し者なのだ。

だから、アンチなんて気にしなくていい。そんなことを思うのだ。

別にこれは誰に宛てたメッセージではないけれど、そんなことをふと思った、そんな秋の夜。

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