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チャットモンチーが解散を発表した。(厳密に言えば、完結させると表明したのだが)

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それまで、決してヘビーにチャットモンチーを聴いてこなかったくせに、解散を発表した途端、昔の音源を急に聴いてみて感傷的になってみせたり、なんで解散しちゃうんだよ〜と文句を垂れるのだから、人間ってワガママなものである。

まるで、側にいるときは「ありがとう」すらロクに言わずにいたのに、いなくなってからその存在の偉大さに気づく親不孝な子どもの言い草である。

けれど、確かに、チャットモンチーの存在って
偉大というか、替えの効かない存在って感覚。

僕は高校の時、軽音楽部に所属をしていたのだが、その時の女子軍団がコピーをするバンドというのは幾つかパターンがあって、ちょっとヤンキー感のある女の子はシャカラビをコピーしがちだったし、メンバーが全員初心者の場合はとりあえず、Whiteberryの「夏祭り」あたりをコピーしがちだったし、個性派を気取る人たちは一旦東京事変にチャレンジするが、コピーするにはあまりにも難しすぎて、諦めてGO!GO!7188に落ち着く、みたいな感じだった。

けれど、チャットモンチーがデビューをするとその様相が大きくかわる。

これがガールズバンドの在り方のモデルルームなのだ!と言わんばかりにチャットモンチーをコピーする人たちが増えたのだ(とか言いながら、僕は途中で軽音楽部を辞めたので、そんな現象、あったのかどうか知らんのだけど)

ただ、現在意欲的に活動しているガールズバンドの一部は、明らかにチャットモンチーの影響を受けたように見受けられる。

そして、直接的な影響は受けていないとしても、そのバンドから「チャットモンチー性」を感じ取って、語られることはしばしばある。

それは、チャットモンチーの存在がいかに大きいかを示すわけだ。

まあこんな話をすると、本人たちは「ガールズ」という冠を付けられることをすごく嫌がっていたことを思い出すし、音楽以外の部分でカテゴライズされて、間口を狭められるのが嫌だったとメンバーは語っている。

確かに、チャットモンチーの凄さは「ガールズ」なんて冠があろうがなかろうが関係ないわけで。

ところで、さっきから散々チャットモンチーは凄いとか偉大とか言ってるけど、チャットモンチーって何が凄いのだろうか?

人によっては「シャングリラ」くらいしか知らないって人もいるだろう。

ガールズバンドである、ということ以外の情報を持っていない人もいれば、チャットなんて大したヒット曲ないやん!と思う人もいるかもしれない。

それなりにチャットモンチーを追いかけてきた人でも、今の地点から改めてチャットモンチーを語ると、メンバーが抜けて二人になっても歩みを止めなかったこと、妊娠・出産を経験してサポートメンバーを加えながら彼女たちがさらなる変身を遂げたこと、そしてもう一度2人に戻って機械と取っ組みあったりしたことなどの「変身の歴史」を評価してしまいがちである。

いや、確かにツーピースになっても、チャットモンチーは活動はやめず、しかも当時はサポートもいれずに、二人でステージに立ったそのタフさたるや相当なものである。

あのときのチャットモンチーがあったから、今のチャットモンチーがあることもよくわかる。

けれど、そういう「歴史」の部分は、チャットモンチーを語る上での「枝葉」でしかなく、本質はもっと別のところにある気もする。

さて、長くなってしまった前置き。

僕の前髪も長くなりがちめた今こそ、じゃあそんなお前はチャットモンチーの何が凄いと思っているのか?という話をしていきたいと思う。

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歌詞が良い

チャットモンチーの歌詞はなんか良い。

女性ならではの視点、っていうのも思うし、歌詞がリアリティーというか、想ってることをちゃんと吐き出しているというか、地に足ついてる感があるというか。

なんかわからんけど、ぐっとくることが多い。

で、これだけ歌詞が強いのにはもちろん理由がある。

というのも、チャットモンチーは歌詞を最初に書いて、その後にメロディーをつけるのだ。

しかも、歌詞を書くのはボーカルのえっちゃんだけではなく、他のメンバーも書く(というか他メンバーの方が数は多い)

ボーカルがあえて歌詞を書かないバンドというのは幾つもいるが、ほとんどの場合、それは作曲者が別にいて、そいつがそのまま歌詞を書いちゃうからなケースがほとんどだ。

けれど、チャットの場合、作曲はボーカルがしているのに、歌詞は別の人が書くというケースが多い、不思議なバンドなのである。

しかも、えっちゃんは歌詞がないとメロディーは付けられないと公言している。

そして、歌詞にメロディーをつけるから、メロ先なら考えられないような形で、言葉にメロディーが乗ることも多い。

その乗せ方が、チャットモンチーを独特なものにしているし、それが成せるのは、えっちゃんのメロディーにおけるセンスが卓越しているからに他ならない。

他のバンドならボーカルがある程度でデモを作ってきて、場合によっては、既にアレンジもけっこう固まっていて、他のメンバーはボーカルのイメージに合わせるようにして音を組み立てていくこともある。

けど、チャットモンチーはフロントマンが絶対的なイメージを作る、というのではなく、むしろ、それぞれがある種の主張を持って、音をメロディーにぶつけるようにして、バンドサウンドを組み立てていく。

だから、リズムのはね方も特殊だったりするし、音がぶつかっていても気にしないことも多い。

おいおい、ベースがそこでそんな荒ぶるのかよ、とか、ドラムがキープすることを放棄して荒ぶってきたぞ!!みたいな、そんな自由さがチャットの音楽にはある。

そういう独特のバランスの中でバンドサウンドが組み立てられるから、メロディーはポップスっぽいのに、ただのポップスには落ち着かない面白さが生まれるわけだ。

しかも。

今時のバンドで歌詞先のバンドなんて少数なわけである。

みたらわかる通り、ノリ史上主義のフェス文化が台頭している昨今、メロディやリズム・テンポが重視されがちなわけで、歌詞なんてヤバTが言うように、どうでもよかったりすることが多い。

それよりもノれる曲。

ライブが映える曲。

そういうのが正義な時代。

もちろん、色んなリスナーがいるからそれだけではないけれど、でも、のれる曲の要請は強くなっている印象がある。

けれど、それでもチャットは歌詞から曲の骨格を作る。

そして、歌詞から着想を始めるからこそ、強いメロディーと独特のアレンジ、そして心に刺さる歌詞を持ってチャットモンチーの曲は世に放たれるのである。(まあ、周りからはもっとノリの良い曲を書いてというオーダーがあったそうだが、「無理です」と断ったらしい)

そこがチャットの楽曲の芯の強さを生むわけだ。

あと、歌詞の魅力を存分に引き出しているのは、えっちゃんの声が表情豊かさだから、という部分も大きい。

仮にこれが、オザケンのように、表情を変えないボーカルだったら、全然刺さらなかったことだろう。

本当にえっちゃんの歌声は、その場で聴くと、一瞬で飲まれてしまう魅力がある。

すごく演奏が上手いというわけではない。

一発聴いて、そっからヘビロテになるほどの中毒性を持った楽曲というわけではない。

歪な分、引っかかりがない、というわけではない。

けれど、チャットモンチーの楽曲は魅力的なのだ。

それは、色んなバランスが絶妙ところで着地するからこそ、成り立つわけだし、この感覚はマネしようとしても誰もマネできない。

だから、替えのきかない存在なのだ。

だから、解散は惜しいと思うけれど、その一方で彼女たちならもっとすごい花火を打ち上げるかも、というワクワクもある。

だいたい、お金でも不仲でもなく解散を選ぶバンドが、次に面白くない道を選ぶわけなんてないわけで。

そんなことを思いながら、来年7月まではチャットモンチーのことを改めて応援したいなーっていうそんな気持ち。

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