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漫画でもいいし、映画でもいいし、音楽でいい。

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どのジャンルでも創作をするというのは、本質的に先人たちのバトンを受け取り、それを自分なりにブレンドしていく作業のことを指すのだと思う。

そして、個性というのは、そのブレンドの仕方に宿る。

センスが良いといわれる人のファッションが、なんでセンスが良いのかを紐解いてみれば、色とか服の組み合わせが上手だとそう感じるのである。

この服の一つ一つがノンブランドであり、それを着るだけだと「お洒落」には感じないようなものでも、組み合わせの妙だけでセンスが良いと感じさせることができる人間が本当のお洒落なのだと感じる。

素材そのものではなく、素材の使い方の美味さが大事だという話だ。

これは、文化的なものでもまったく同じことである。

音楽雑誌とかネットメディアで賞賛される音楽というのは、この組み合わせ方とか切り貼りの仕方にセンスを感じるから「良い」と評価するのである。

もちろん、言語はできないけど、なんか聴いてると気持ち良いみたいな直感的なものもあるけれど、多くの人が直感的に気持ち良いと感じるメロディーには、ベタな理論が蔓延っていることが多いわけだ。

何が言いたいのかというと、どんな新作だって多かれ少なかれ、オマージュ的な要素が宿っているし、人からみれば権利的にはクリアーしていてもパクリまがいと感じるような作品も出てくるわけだ。

けれど、クリエイターは多かれ少なかれかれ、先人たちのバトンを受け取り、音楽を作ることを知っているから、似てる部分をほじくり出して、これはパクリだパクリだとクレームを言うことは滅多にない。

一方で、創作者ざ少しでも文化的創作に没頭できるように、その文化的発展を願って、「著作権」という権利と法律が生まれた。

作ったものには権利が宿るし、それは何者にも侵犯されないと決定づけたわけだ。

これにより、モノを作る人がモノを作ることで安心してご飯を食べれる環境を整備させることができたわけだ。

けれど、先ほども述べたように創作するというのは、過去の作品を織りなおす作業であり、その全ての織物に権利を認め、使用料を取っていては創作というのは成り立たなくなってしまうし、そのジャンルそのものが停滞してしまうわけだ。

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音楽でいえば、歌詞とメロディーを作った人には著作権があるが、編曲・アレンジにはその権利がない。

曲の印象を決めるのはアレンジなわけで、ここに著作権がないのは変な話だし、編曲にも著作権を作るべきだとは思うが、もし編曲に権利を著作権を認め、こういうギターリフはこの人の権利である、みたいなやり方をしてたとしたら、どうなっていただろうか。

例えば、この人にお金を払わないとこのリフは使えないよ、そうじゃないとパクリと非難して販売は差し止めるよ、なんてしていたら、ほとんどの音楽ジャンルは死滅していたのではないだろうか。

もし、コード進行にでも権利があれば、えらいことになっていただろうと思う。

ボカロの文化の発展なんて夢のまた夢になっていたことだろうと思う。

要は、権利を認めることは大事だが、それをやりすぎると文化的創造を萎縮させることになる。

個人的には著作権を保護するべきものの保護ができず、保護する必要のないものをあまりにも長い期間、その権利を守っているように感じる。

だって、著作権者の死後50年間の著作権を保証して得するのは、それをビジネスにしてきた人間だけである。

どう考えても文化的発展においてはデメリットしかない制度だと思うのだが。

もちろん、それで金を稼ぐ人間は絶対にそれについてはノーというに決まっている。

けれど、クリエイターの人間は過去のものを借りてモノを作ってきて、それで著作権を行使してお金を稼いできたわけであり、文化的発展が著作権の本質なのだというのであれば、もう少し考えなくてはならないことがあると思うのだ。

お金を稼ぐためだけの方便にならないよう、もっと色んな人がこの議論を深めるべきだと切に思う。

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