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早速だが、結論を言おう。

それは、日頃の行いである。

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なーんて、まとめてしまったらさすがに身も蓋もないので、もう少し細かくみていこう。

とはいえ、細美が無料ライブを開催していたとしたら「さすがほそみさん!カッコイイ!尊敬する!」になってしまい、リビジョンが安い金額でライブを開催していたら「お前らは金とるのかよ?細美さんを見習って無料でライブやれよ!」って叩かれる未来が見える気もするので、やっぱり日頃の行い以上も以下でもないような気がする。

が、日頃の行いという観点以外でみるならば「キャラクター性」の違いが大きなポイントになると思う。

ここでいうキャラクター性とは「メンヘラ」とか「害悪」とか属性めいた話ではなく、顔面とか身体に付いている筋肉の量とか、ライブパフォーマンスとか、作っている音楽とか、メディアで話す言葉の内容とか、全てを含めてそのアーティストに見る「幻想」の総体と考えてもらったらいい。

端的にいえば、各々が思う細美ってこんな人というイメージ=キャラクター性というわけだ。

だから、ここでいうキャラクター性は各々によって変わってくると思う。

細美武士は、なぜライブ料金を下げているのか、どのようにライブ料金を下げているのか、どんな思いをもってそれに取り組んでいるのか、そのエピソードひとつひとつに宿る話は全てキャラクター性から始まる話であり、その話を聞いた人は細美に対して新たな物語を生成するわけである。

仮に、それが幻想だとしても。

もちろん、その幻想が本当の意味で真実なのかどうかは検証しようがないので、自分にとって細美さんとはこういう人という想いが確固としてあるならば、それが真実だと思うのだ。

まあ、細美が凄いのは、言ったことをちゃんと行動に移しているところだし、最初にいったそのスタンスを変えずに、何十年も貫いているところだと思う。

だから、カッコいいし、未だにたくさんの人を魅了しているのだと思う。

さて、リビジョンの話をしよう。

彼らがどうやって、無料ライブを開催しているのか?という具体的は種明かしは、していないように思う。

そして、本人たちは茶化して「害悪でも何でもいいから友達誘ってみんなきてね〜」みたいなスタンスであり、努力とか苦労は傍目には見せないようにしているように感じる。(ライブに行けば、その熱量がわかるという指摘はあるだろうが)

もちろん、ライブを無料にさせようと思ったら自分の身を切り詰めるしかないはずで、そういう意味では、その辺のバンドマンよりもよっぽど身を削っていることは確かだと思う。

グッズで補填しているのか、バイトをしまくっているのか、裏でメルカリで転売を働いておりそこで軍資金を稼いでいるのかは定かではないが、何かしら身を削り、ひとつひとつ行動することで、結果を示していることは間違いない。

そういう意味では、細美と通ずるものがある。

が、細美は美談になっても、リビジョンは美談にならないわけだ。

やっぱり、キャラクター性の違いしか言いようがない気がする。

ただ、個人的に思うのは「無料」の使い方に不味さがあるのではないかと思ったりするのだ。

本来、無料とは諸刃の剣であり、安易に使用してはいけないものなのだ。

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例えば「Music FMでも何でもいいから音源聴いてね」と言ってリビジョンが炎上したのは記憶に新しいが、これだって、アーティストが苦労して作ったものを無料で聴くことはよくないと思っている人がいたから炎上したわけだ。

で、なんで無料で聴くことがよくないのかといえば、法律云々というよりも「無料で音楽を聴いてもそのアーティストにお金が一銭も入らない」からであり、アーティストがお金を稼げなくなるとアーティストは活動を止めないといけないことを理解しているからだ。

なのに、仮にもアーティスト側がそれを助長しているように捉えかねない発言していたから、良識あるリスナーはそれを警告したわけである。

だって、頭の悪いリスナーはこんなことを思うかもしれない。

「リビジョンは無料でもいいから音源聴いてくれたらそれでいいって言ってたもん!だから違法アプリで音楽聴くねん!」と。

それだけならまだかわいいが、そのうち「ファンなのになんでお金払って音源聴かないといけないの?そんなのおかしい!」とか頭の湧いたことを言い出す人間がより増える恐れがあるわけだ。

というか、若い子を中心に既に増えているとは思うが……。

話が脱線した。

この記事で言いたいのは、ライブの「無料化」の是非である。

個人的な所感でいえば、過剰な「ライブの無料化」って、本質的には自分のことしか考えていないような気がするように思うのだ。

どういうことか?考えてみよう。

例えば、ファストフード店が3つあるとする。

味は美味しいし、身体に良い食材を使っているから値段は高いA店

普通の値段で普通の味で何もかも普通のB店

美味しくないし、栄養的な観点から見れば難はあるけれど安いC店

それぞれが利益を出すように知恵を出しながら、メニューをどのように売り出し、どのような値段設定をするのか考える。

この場合、高くても良いから美味しいものを食べたい人はA店にいくし、安ければそれでいいという人はC店にいくと思う。

あとは需要と供給に合わせて、細かな値段の変動が起きて、やがてどの店もしかるべき値段に落ち着くのである。

細かなパイの奪い合いはあっても、お互いが切磋琢磨する良好な状況である。

が、そこに「まずいし、身体には毒でしかないけれど、全品タダ」というD店が突如として新規参入してきたらどうなるだろうか?

おそらく「美味しくないけど安いC店」のお客はD店にほとんど取られるだろう。

それだけで済むならそれでいいが、利益を度外視した店がひとつなだれ込むことで、価格崩壊が起きてしまい、ちゃんとした利益を出すために値段設定したお店も、その値段設定では店を切り盛りできない自体が出てくる恐れがある。

生き残るためには、赤字になることがわかっている辛い価格設定をする必要が出てくるわけだ。

また、タダで店を食える店はタダであるがゆえに客層も悪いだろうし、そのお店の近辺の治安だって悪くなることが想定される。

価格崩壊は起こるし、他の店のパイは奪う。

なのに、その店自体も利益を出さないからやがて共倒れをする未来。

百害あって一利なしであることがわかるだろう。

流石にライブの現場が、これに綺麗にハマることはないけれど、寓話にできるかといえば微妙なところである。

仮に、人気バンドが「それなりに俺たちはお金も稼げたし、後はお客を増やせればそれでいいから、今日から利益なんて無視して、全てのライブを無料でやるわ」なんてことになったら、どうなるだろうか?

あるいは、世にあるほとんどのフェスが、パイの取り合いにさえ勝てたらそれでいいから、他のフェスが野垂れ死ぬまで無料で開催するわ!なんてことを始めたら、どうなるだろうか?

色んな未来を想定できると思うが、やがて待ち受けるのは、音楽でメシを食うことのできる人間の数の大幅な減少だと思う。

もちろん、全てを無料にしたら音楽に触れる人間の数は増やせるかもしれないし、それで誰かがメシを食えなくてなってもいいやん、音楽なんてそもそと誰のものでもないんだから、という共産主義的考えを推進したいだけならけっこうなことである。

が、そういう姿勢ではないと思うのだ、リビジョンのそれは。

言いたいのは、自分のライブを無料にするというのは、本質的には人様の利益を奪っている恐れがあるということだ。

そりゃあ、無料にすれば有料よりは、自分のライブに新たなお客さんが入るのかもしれない。

けれど、それって自分がよければ他はどうでもいいということの裏返しなのではないか、というわけである。

こんな見方もできる。

ライブを無料にするために、自分でお金を補填しているのだと思う。

それは自分で勝手にやってることなんだから好きにすればいいのではないか、という指摘もあるだろう。

けれど、もしライブを有料にして、利益を出して、しかるべきお金をもらえば、そのお金をライブ代の補填以外の他の何かに使うことだってできるわけだ。

「音楽の未来」を優先した考え方をするならば、例えばそのお金で人様の音源を買ったり、他のバンドのライブに遊びにいくという選択肢だってできるはずだ。(本当の音楽好きならそういう選択肢はあるはずだ)

けれど、そういう可能性は捨てて、自分のライブを無料にするためたけに、お金を投じる。

(実際はどうなのかは知らないけどもこれって自分がよければそれでいい、という理屈の上に成り立ったやり方にしか、どうしても見えない。

もちろん、無料でライブを行けて恩恵を受けるのはそのライブに行った人であり、その人たちがタダでライブに行った分、浮いたお金を何かしらの音楽ライフに使用するならまだいいかもしれない。

けれど、これで「お金浮いたわ!ラッキー」と思うような奴らは、きっとMusic FMでしか音楽を聴かないと思うのだ。

まだ「浮いたよ!ラッキー」と思っているならいいが、そのうち「なんでライブが有料なん?おかしくない?ファンなのになんでライブにお金払わなあかんの?」みたいな考えに毒されるかもしれない。

やがて、音楽を趣味と標榜する人の大多数がそういう考えになってしまったとき、どういう落とし前をつけることができるのか?

そうなったときの責任を背負う覚悟を持ったうえで、ライブを無料化にしたり、タダでもいいか音源聴いてほしい、と吹聴するならそれでいいと思うが、とりあえず自分たちが人気になったらそれでいいねん、害悪だろうがマナー悪い奴らだろうが客を囲えたらそれでいいねん、自分たちがゲームの勝者になればそれでいいねん、という思考のもとでのやり口なのだとしたら、もう少し考えるべきことはあるのではないか、なんてことをふと思ったりするのである。

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