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最近の邦ロックはポップスみたいである、と個人的に思う。

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こんなこと言うと、???ってなる人もいると思う。

「ロック」とか「ポップス」とか色々カテゴライズしてるけど、結局、どういうことやねん、という指摘もごもっともだと思う。

なので、少しだけ、このことについて、見通しの立つような文章を書いてみたい。

まず、ロックとは何なのか?

音楽のジャンルとして「ロック」を考えた場合、エレキギターとエレキベースとドラマとプラスαで構成されたバンドで鳴らす音楽が「ロック」である、と考える人は多いと思う。

確かにその認識は間違いではないんだけど、その一方でミスチルとかバクナンみたいな音楽はあんまり「ロック」と言わない風潮がある。

あれはおそらく、エレキギターやエレキベースよりもストリングスなんかの別の楽器が目立っているからであり、ギター・ベース・ドラマというバンドだけの演奏ではライブが成り立たない楽曲を量産しているバンドは「ロック」ではないという認識をするに至っているのではないかと思う。

じゃあ、そんな彼らはどういう分類されるのかというと、おそらくJ-POPというカテゴライズをされているのだと思う。

邦ロックの対比としてのJ-POP。

それはつまり、「ロック」と「ポップス」を対比させた考え方であり、ふたつはまったくの別物であるという捉え方があるように思う。

もちろん、ミスチルやバクナンを「ポップス」と捉えるということ自体に異論はないが、その前にひとつ考えてみたいことがある。

そもそも「ポップス」とは何なのだろうか。

たぶん多くの人は、歌謡曲はポップスと考えているだろうし、アイドルをはじめとする歌番組によく出るアーティストのほとんどは、ポップスであると捉えているのではないかと思う。

また、CD売り上げランキングで上位に入るような「ポピュラー音楽」もイコールとして、「ポップス」として認識しているのでないかと思う。

まあ、大体そういう人は音楽のジャンルを細かく分けろと言われたところで、「ロック」と「ラップ」と「ジャズ」と「クラシック」くらいは分類できるが、それ以外の売れてる音楽は全部「ポップス」として認識しているような気もするわけだが。

認識としてそれは間違っていないと思うので、それはそれでいいとは思うのだけれども。

ただ、売れてる音楽=ポピュラー音楽=ポップスという認識で考えていくとすれば、人気のある邦ロックのほとんど「ポップス」という分類をするべきだ、という話になってしまう。

ご存知のとおり、最近音楽で元気があるのは邦ロックばかりであり、フェスで名を馳せたバンドならすぐに色んなタイアップもつくし、お茶の間での認知度の高いバンドも相当増えてきている。

人気や知名度という観点で考えれば、星野源の「恋」もWANIMAの「やってみよう」もSuchmosの「STAY TUNE」も「ポップス」と言って差し支えないように感じる。

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けれど、おそらく一般的な音楽好きの皮膚感覚としては、星野源はポップスで、WANIMAは邦ロックで、Suchmosはよくわからん、という認識をするのではないかと思う。

なぜこういう分類になるのかといえば、ギター・ベース・ドラマで成り立つ楽曲は「ロック」である、という考えが支配的だからだと思うわけだ。

WANIMAはフェスやライブなんかでも3人のみで演奏するわけで、バンドのみで楽曲を再現するのだから、これは「ロック」だと認識するわけだ。

一方、星野源の「恋」はギター・ベース・ドラム以外にも色んな音が入っており、ギターはむしろアクセントでしかなく、ライブでギター・ベース・ドラムのみで再現することはありえないから、この歌は「ロック」ではなく(まあ、元々この歌はロックではないのだが)、「ポップス」という位置付けをしがちなのではないかと思うわけだ。

また、Suchmosはバンドという形態ではあるが、DJやキーボードがいることから、バンドでありながらギター・ベース・ドラムのみで演奏を成り立たない故、WANIMAのような「ロック」好きからは「ロック」という認識がされないという事態が生まれたりするのである。

話が脱線した。

いわゆる「ポップス」とは結局何なのか?という話がしたかったのだ。

改めて、定義づけをしてみよう。

「ポップス」とは、音楽を能動的に聴かない人たちでも容易く馴染める音楽である、というふうに考えられるのではないかと思う。(能動的な音楽ファン以外にも需要されるからこそ、売れる音楽になり、ポピュラー音楽になるわけだ)

なぜ能動的に音楽を聴かない人でも容易くその音楽に馴染めるのか?を突き詰めて考えてみる
と、ひとつの答えが導きだせる。

結局のところ、その音楽が二番煎じであるからこそ、すぐに耳に馴染むわけだ。

二番煎じという言い方がまずければ、その音楽は王道である、と言い換えてもいいし、わかりやすくするならば、その音楽はベタである、というふうに言い換えてもいいかもしれない。

意識的に音楽を聴かない人が「メロディがいいなあ」と感じる場合、それは音楽のベタを上手にカスタマイズしているからなわけである。

つまり、その音楽がポップスであるという場合、その音楽には「ベタ」な要素が数多く込められている、ということを告発してるわけである。

ゆずでもいいし、いきものがかりでもいいし、コブクロでもいいし、小室音楽でも、ビーイングの売れ線音楽でもいい。

「ポップス」の冠がつく音楽は、絶対に音楽のコアな部分が「ベタ」なはずなのだ。

そういう意味で考えると、WANIMAもロックという文脈の「王道」やら「ベタ」をカスタマイズして作った音楽であり、その構造はまさしく「ポップス」と呼べる代物になっているとも考えることができるわけだ。

逆にSuchmosは「王道成分」が薄めなので、いわゆる「ポップス」というカテゴライズもされにくいように思う。

売れてる邦ロックは良くも悪くも二番煎じ感が強く、そういう意味で「ポップス」という分類も間違いではないように思うわけだ。

また、「ロック」というカテゴライズだって、バンドサウンドがなければ成り立たないものである、という前提がそもそも間違っている。

一般的な価値観、ベタに対するアンチテーゼとしてあるのが本来的な「ロック」の本質であり、ベタ側(要はリスナー側)に媚びるとそれは「ロック」ではなく「ポップス」になるのである、という話である。

逆にいえば、バンドサウンドじゃなくても明らかにベタに対して反抗精神をみせていたら、それは間違いなく「ロック」だと思うわけだ。(だから、スカパラなんかは「ロック」だと言われたりするわけで)

もちろん、こういう掘り下げは音楽的ジャンルの分類と話は変わってくるわけだが、音楽というのはそういう精神性であったり佇まいも含めて需要されるものであるし、そこまで考えてみてはじめて、これは「ロックだ」とか、これは「ポップスだ」とかいう分類が成り立つのではないか、と思ったり思わなかったりする次第である。

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