今年のロッキンの「全ライブアクト」発表を受けての感想・意見をみてみると、こういうものが多かった。

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「アイドルばっかりで、こんなんもはやロックフェスじゃないやん!」「ビバラポップよりもポップポップしてるやん!」「アイドル出すならもっとバンド出してほしい」「え!!POTでる!!は???え!??ま!!????」「最終日大丈夫なん??グラスのメンツ、足りんやん」「今年のロッキンはちょっと微妙かな…」

そして、みんな口を揃えて言うのだ。

これじゃ「ロック・イン・ジャパン」ではなく「ポップ・イン・ジャパン」である、と。

まあ、ロッキンなんて毎年のように「こんなのロックフェスじゃない」と文句を言われ続けてきたし、ACIDMANのような生粋のロックバンドがトリを務めると、バンド側が「荷が重い」と言ってしまうような、そんなデパート感がある。

それこそがロッキンの良いところでもある。

確かに他のフェスに比べたらアイドルが多いことは否めないが、今更何を言ってるんだという気はしなくもない。

「こんなんポップ・イン・ジャパンやん。つまらん」と文句を垂れてる人に限って「何で米津玄師、出ないんだよ〜」と落胆してたりするけれど、僕から言わせれば米津玄師もポップ側の人だと思う。

たぶんこういう人はロック色が強いか弱いかというより、自分の好きなアーティストが全然出てくれないから文句を垂れてるだけなのだと思う。

まあ、ロッキンのメンツの是非は置いとくとして、個人的に気になったのは「じゃあ、お前らの言うロックって何なんだ?」ということ。

今日は6月9日、ロックの日だ。

だからこそ、改めてロックとは何なのかを考えてみたい。

ロックとはバンドであるという説

たぶん、多くの人がロックかロックじゃないかという線引きをしているのはココだと思う。

バンドならロック、ロックならバンド。

そんなふうに捉えている人は多いと思う。

でも、本当にそうだろうか?

例えば、SPECIAL OTHERS。

SPECIAL OTHERSはバンドという体制をとって楽器を鳴らしている。

けれど、リスナーの多くは、これはロックだな〜と感じるだろうか?

もちろん人によると思うが、ロックというよりは違うジャンルで分類したくなる部分もある。

あるいは、TOKIOや関ジャニはどうだろうか?

まあ彼らの場合、色々経由した果てにロックという評価を与えられているフシもあるが、未だにロックフェスに出たら一悶着与えるような存在であることは間違いない。(今のTOKIOの場合、別の意味で騒ついてしまうのが残念で仕方ないが)

いや、ジャニーズはちょっと別でしょ?

ジャニーズは普通のバンドと違って恒常的にライブを行っていないし、ライブハウスを通っていないからロックじゃないんだよ、 バンドと同じノリで語るべきではないんだよ、と文句を垂れる人がいるかもしれない。

Syrup16gやART-SCHOOLみたいな、動いてるのか動いていないのかよくわからんバンドが好きな僕からすると、ライブの本数とロック性はそんなに関係がない気がするので、これに関しては何とも言えない部分がある。

ただ売れるまでにライブハウスで下積みを重ねるその過程、そこの物語性にロックを感じる、というのはあるのかもしれない。

まあそれを置いといて、ここで言いたいのは、必ずしもバンドの体裁さえ取っていれば、それで「ロック」と言える、というわけではないということ。

納得できないなら、逆のパターンを考えてみたい。

つまり、バンドとして成立していなくても、ロックと言われる人だって多いやん、という話をしたい。

例えば、くるりやB’zは、メンバー内の編成だけで言えばバンドとして成立していないが、多くの人はロックであると認知している。

今年のロッキンのメンツで言えば、忘れらんねえよとかグリムスパンキーなんかもそうだ。

こうなると「バンドだからロック」という指摘自体は誤っているのではないかと思えてくる。

何をもってロックというのかをもう少し慎重に考えてみる必要がある。

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ビバラを参照して「ロック」を考える

今年「ビバラロック」と「ビバラポップ」というイベントが開催された。

「ビバラポップ」に関して、ポップというからには色んなポップミュージックの担い手が出てくるのかと思ったら、蓋を開けてみたらアイドルの祭典だった。

ならば、ビバラアイドルというイベントでいいのでは?ポップってなんだよポップ、って思ってしまった僕。

アイドル=ポップかよ、それは流石に違うだろう!ふざけるな!このヤロー!とか思ってしまった僕。まあ、どうでもいいんだけどさ。

ビバラロックだって同じことが言える。

ビバラという冠をつけて、ロックとポップで対立させるようになったのならば、より「これはロックで、これはポップ」という線引きをつけるべきだと思うのだが、各ブッキングをみてると、どうにもそうは見えない。

ビバラロックにSKY-HIとかレキシとかいたけれど、あいつらはロックなのかよ、と少しツッコミをしたい。

いや、あいつらはロックでしょ?って言うんならそれはそれで別にいいんだけど、であるならば「何をもってそいつらをロックと評したのか」が気になる。

バンドでもなければ、鳴らしてる音のジャンルもロックというわけではない気がするし。

逆に、ビバラポップに出てる人の方がビバラロックに出るべきなのではないか?というアーティストもいたし。

ここで言いたいのは、ロックというのはグループを形容した言葉(つまり、バンドであればロックという話)でもなければ、鳴らしてる音を指してる言葉でもなさそうだということ。

ならば、何をもってしてロックというのか?

そう言えば、サンボマスターみたいなバンドがロックで、ミスチルみたいなバンドはロックじゃねえとかいう奴がいる。

その是非はともかく、こういう人が言いたいのは、サンボマスターのライブにおける熱量とかその佇まいこそがロックであり、ミスチルみたいに大衆に向けて音を鳴らすのはロックではない、と言っているのだと思う。(あとは、演奏してる楽曲のギターの音色も影響してるとは思うけど)

WANIMAなんかを指差して、彼らも昔はロックだったが、今はすっかりポップになっちゃったと言うのも、そういう類のことだと思う。

何を鳴らしているかというより、誰に向けて鳴らしているのかがロックであるかどうかのキーポイント的な。

これならば、より多くの人に音を届けようと努力するアイドルはポップと言って差し支えがないし、SKY-HIやレキシはロックである、という論法も理解できなくはない。

確かにここまでみている限り、マジでこれしか線引きしようがないんですけど。カオスにしてるのはビバラお前だぞ、謝罪してほしい。

でも、ロッキンは違う。

ロックフェスと銘打ちながら、どんどんどんどんアイドルをブッキングしている。

ロックとは何かをもう少し深く考えるには、ロッキンのスタンスも考える必要がある。

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アイドルとはロックなのか?

今年のロッキンはロックフェスと名乗りながらアイドルのブッキングが多い。

これはアイドルもロックだと考えたからブッキングしたのだ、と僕は考えている。

確かにBiSHのように歌ってる歌もその佇まいもポップというよりはロックというパターンもあるし、ももクロやエビチューのように「一般的なアイドルよりもパフォーマンスが優れていて、そのスタイルもストイック」だから、ロックという評価を得ているパターンもある。

ただ、そういうパターンに当てはまらないアイドルも容赦なくブッキングしている。

ということは、ロックという言葉の捉え方自体をもう少し変えた方がいいのかもしれない。

ちなみに、ロッキンオンジャパンという音楽雑誌があるんだけど、この雑誌の手にかかれば、どんなアーティストもロックという枠組みに規定してしまう超絶理論がある。

その雑誌は概ね「○○の○○という部分はロックと言えるし、ロックとしか言えない」みたいな論法を披露する。

調べていくと色んな事例を散見することができるんだけど、結局のところロックとは生き様なのである、みたいな話に行き着く。

そういう線引きでロックか否かを評するのだとすれば、アイドルだってロックと言えるのではないか?という話。

さて、ロックとは生き様のことだと仮定するならば、次に、どういう生き様がロックなのかを規定する必要が出てくる。

思えば、ロックバンドは若くして死にたがる人が多い。

これは、一瞬一瞬に命をかけて生きているその懸命さ、ストイックさこそがロックなのだという考えからきている発想であり、太く短い生き様こそがロック的なのだという史観があるから生まれたもののように感じる。

確かにロック界隈の人は「俺たちは命懸けでライブをやってるんだぞ。だから、客であるお前たちも全力でかかっこいや」と煽りがちである。

が、煽るだけ煽るが、一部ほんとにヤバイ人以外はわりと元気よく生きているし、本当に死にそうになったら大体テンパるし(喉にポリープできたらナイーブになることからみても明らかである)、ほとんどの人はそれなりにマジメに将来のことを考えながら音を鳴らしている。そんなものである。

だが、アイドルはそうもいかない。

それこそ20代半ばになると、アイドルとしての自分の死を迎えざるを得ない、そんなアイドルが多い。

アイドルという虚像を作り上げ、その虚像に夢をみせたり恋をしてもらったりすることでファンを作ってきたアイドルは、いつかその虚像とは決別して死を迎える必要があるわけだ。

アイドルからアーティスト、あるいは女優みたいに、別の肩書きに変更して第二の人生を歩む人が多い。

そうなのだ。

アイドルこそが太く短い人生を生きないといけないのである。

バンドよりも刹那的に生きなければいけないアイドルの生き様は、むしろロックバンドよりもロックと言えるのではないか?

だからこそ、アイドルがもっともロック的である、と言う論法もある程度の説得力を持つわけだ。

ロック=生き様、という話ならば。

ちなみに僕は今日、rock power spirit & loveというロックバンドの展示会に行ってきたんだけど、そこでLUNA SEAのメンバーであるSUGIZOさんがロックについて語っているパネルがあったので、載せておきたい。

なるほど。わかるようなわからないような。

まとめ

ちなみに、個人的にはロックとはジャンルのことだなーと思っているので、同じバンドでも「この曲はロックだなー」と思うこともあれば「この曲はロックじゃねえーな」と思うこともある。

ロック性自体はどこに感じるのか?と言われたらギターの音。僕はここに尽きる。

楽曲にギターの音が入っていても「ロックな感じがしない」と思えば、これはロックじゃないと言うし、ギターがカッコよかったら「これはロックだ!」って評することが多い。

もちろん、例外はあるけどね。

音に関しては生でも打ち込みでも関係なくて、聞こえてくる音がロックだと感じたらそれはロックだと規定する。

そういう意味で、アイドルもバンドも関係なく「ロック」という門戸は開いている、と僕はそう思う。

と、そこまで考えてみたとき、ならばバンドの総数が減ってもロックインジャンルはロックインジャパンと名乗っても問題ないよなーと思うし、ライブハウスバンドよりもアイドルの方が出演数多くなっても、それ自体は問題ないのかなーと感じる。

まあ、ロッキンのブッキングの話はどうでもいいんだけどね。

あなたにとって、ロックとは何だろうか?

身も蓋もないことを言えば、何がロックなんて定義自体、野暮な話だし、どうでもいいことなのかもしれないけども。

関連記事:アイドル化するバンドとアイドル化から逃げるバンドとその終焉について。

関連記事:現場に行ってない人のロッキン感想レポ!B’zとか桑田佳祐の話!

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