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邦ロックには色んな種類があるが、大まかに分けると二つに分類できると思う。

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ひとつはポップス好きにも受け入れられるロック。

まあ、人気バンドは多かれ少なかれ、ロックというフォーマットにポップスを落とし込んでいるフシがある。

ミスチルであれバクナンであれKEYTALKであれWANIMAであれ、本質的にはポップスを内包させながら、ロックミュージックをかき鳴らしているわけだ。

一方、ポップス好きには理解不能なロックをかき鳴らすバンドもいる。

例えば、凛として時雨。

多分普通のポップス好きが凛として時雨を聴けば、ボーカルの声がまず無理になるのだろうし、メロディーの旋律が肌に合わないと感じる人も多いだろうし、なにより音そのものが煩いと感じる人も多数なのだと思う。

時雨に限らず、コテコテのメタル系のバンドだったり、我が道を行くプログレバンドだったり、ポップス好きが「音楽が好き」と語るときの「好きの要素」が楽曲にまったく取り入れられておらず、完全に別の哲学と論理で構築された音楽を奏でるバンドの前だと、普通のポップス好きは手も足も出なくなるわけだ。

というより、そういった音楽をどう楽しんでいいのかわからない、という思考に陥るのかもしれない。

もちろんその線引きは人によって変わってくるとは思うが、いずれにせよ、ポップス好きとは相容れないロックミュージックがあるという事実だけは間違いないと思う。

そんなポップス好きが嫌うロックの最前線を担う若手バンドと言えば、誰を思い浮かべるだろうか?

僕はベガスである。

その辺のポップスは好きだよ、という知人にベガスを聴かせると、大体は卒倒する。

ドロスとかカナブンが好きなカジュアル邦ロック好きにベガスを聴かせても、大体の人は不快な顔をしてそっとイヤホンを外す。

まあ、気持ちは分からなくもない。

ベガスは一般的なポップスとは違うフォーマットをいくつも駆使して、他の追随を許さないオリジナリティーをかき鳴らすバンドなのだから。

ただ、ベガスはちゃんと聴けばものすごくかっこいいし、食わず嫌いでいるのは勿体無いバンドだとも思う。

というわけで、今回はその辺のポップス好きにもベガスの良さを伝えてみたいと思うのだ。

が、ベガスの音楽の良さが全く分からない人に「ほら、ベガスってこんなにかっこいいんだよ!」と力説したところで、目が点になって、「無理無理無理無理あんなの聴いてたら頭おかしくなるよwwww」と拒絶されることが見え見えなので、この記事では少しアプローチを変えてベガスの良さに迫ってみたい。

まず、今回の記事では<ポップス好き>という広い範囲に語りかけるのではなく、範囲をもう少し狭めてみたい。

その代表として、ゆずファンことゆずっこをターゲットにしてみたい。

というのも、実はゆずとベガスの音楽には共通点が多いのである。

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①声質の違うボーカルが交互に歌いながら曲を進行していく

ベガスのメインボーカルは二人いる。

SoとMinamiだ。

一人はクリーンボイス(普通のボーカル声)をメインで歌い、一人はスクリームボイス(デスボイスやシャウト)をメインで歌う。

平たく言えば、違う声のボーカルが代わる代わる歌っていくわけだ。

そして、ゆずもベガスと同じようにメインボーカルが二人いる。(まあ、デュオなのだから当たり前なのだが)

一人は比較的ダミ声で歌い、時にはMinamiと同じようにシャウトすることもある北川悠仁。

もう一人は、クリーンなハイトーンボイスを駆使して綺麗に高音を歌いこなす岩沢厚治。

ゆずも平たく言えば、違う声のボーカルが代わる代わる歌っていくスタイルなわけだ。

おまけにSoのボーカルは基本オートチューンという機械を使い、声を変えて歌うのだが、ゆずも楽曲では自分の声を重ねたりお互いの声でハモったりすることで、Soと同じように「聴こえ方」を変えて、歌声を聴かせてくる。

このように、楽曲におけるボーカルの進行の仕方は、ベガスもゆずも共通点が非常に多いのである。

②色んなジャンルの曲を詰め込む・曲の展開が雑多

ベガスの音楽がなんだか初見お断り感が強いのは、大きく分けると二つの要素に分類されると思う。

一つは奏でる音楽の雑食性。

ハードコアなバンドサウンドに、シンセをデコレーションしてるのに、ノリの部分はスクリーモしているくせに、全体まとうオーラはダンスロックで〜みたいな、トッピング全部のせ的な脂っこさがあるわけである。

若いうちは油物が大好きな人も多いが、歳をとるにつれて、油物が苦手になる人が多い。

だから、年寄りほど、ベガスの雑食的なサウンドがきつ〜く感じてしまうわけだ。

情報量があまりに多く、やたらと聴こえてくるピコピコ音をバックに、なぜかオートチューンがかけられたボーカルと、シャウトするボーカルが交互に聴こえてくるのがストレスとなり、一ラウンドでノックアウト寸前状態となる人が多数出てしまうわけだ。

それを考えたら、確かにゆずの音楽はシンプルである。

路上ライブ出身ということもあり、ベースはアコギとタンバリンとハーモニカ。

シンプルな構成のおかげで、歌声とメロディーと歌詞にしっかり寄り添えるわけだ。

その包容力たるや、絶対に手を出してこないことが確約されているソフレのような安心感である。

が。

それも10年以上も前の話。

最近のゆずは、実はどんどんベガス化しているのだ。

ひとつの楽曲に対する情報量はどんどん大きくなってきており、ジャンルも雑多になってきている。

フロッピーディスク時代からハードディスク時代に変化する20年間を駆け抜けてきたゆずだからこその変化であると言えよう。

特に外部アレンジャーを積極的に招くようになった2008年以降は、ゆずの土台であった「フォーク性」はわりと捨て去って、ロックサウンドであれ、電子音であれ、曲に合うものであれば何でもござれな感が強い。

新規のゆずファンなら、岩沢がハーモニカを吹く姿を見たら逆に驚くのでは?ってくらい「外の音」を多様するになってきている。

というわけで、音楽の部分でもベガスとゆずは似てきているわけだ。

あと、ベガスが一見さんお断り感を出しているもうひとつの要因は「で、今何番なの?」とか「ここってサビ?」とツッコミを入れたくなるほど、突如として今までの曲調無視をして、別の曲を展開していくメロディーラインにあると思う。

サビ後にCメロを入れること自体はよくあるわけだが、普通は、わりとオシャレな感じのするCメロをサビから流れるように繋げるのが普通なわけだが、ベガスは文脈も流れも完全にぶった切って「完全別曲世界」がサビ後に突如として展開される。

おまけに、サウンドに関してはメタル臭を強くしていったり、Minamiが好き放題にデスボやシャウトしたりする流れがわりと多めで、初見は「ああん?こいつら何始めてるの?」となってしまうのである。

たまに救いの手を差し伸べるかのようにSo君が普通のメロディーを歌うパターンもあるが、オートチューンで声を改変している分、なんだか温かみがないし、傷口が癒える前にMinamiがまた登場して、シャウトしまくって、再び楽曲をカオスの渦に落とし込むこともまた常なのである。

「PHASE 2」以降の楽曲になると、楽器隊が歌うことも覚えてくるため、ガヤからのデスボも普通に発生したりする。

そのせいで、より誰が何をやっているのかわからなくなってしまい、普通のポップス好きは混乱に陥ってしまうのである。

が、ゆずだって、そういうカオスな曲展開の歌は増えつつある。

それこそ、Aメロ→Bメロ→サビ、の流れを2回繰り返して、最後に大サビで締める、みたいなベタベタな展開をする曲は少なくなり、「2番のAメロは1番と違うパターン」にするとか「2番の途中で突如として大サビを入れるパターン」にするとか「サビにいきそうでいかないまま、いつの間にかイントロに戻っててサビを回避するパターン」とか、色々とセオリーを打破する楽曲が増えてきているのである。

特に「REASON」や「表裏一体」など、ヒャダインこと前山田健一とのコラボ作ではその毛色が顕著になっている。

つまり、楽曲の進行部分でも、ベガスとゆずは似ているところが多いというわけである。

③けっこう踊る

何でもいいからベガスのMVをみてほしい。

ボーカル二人がわりと踊っていることがわかる。

ニューアルバムに収録されている「Return to Zero」なんてパラパラを踊っている。

しかも、この踊りが良い具合にダサい。

というのも、基本的にベガスのダンスはダサい。

けれど、積極的に踊る。

そして、ダンスはダサいのに、鳴ってる音楽や楽曲はかっこいい。

そのギャップがベガスの良さの一つなのである。

で、ゆず。

「恋の歌謡日」では、北川が完全女装となりギターも持たずにゆらゆらと身体を揺らして踊ることもあったが、岩沢がギターを降ろすことはなく、本質的には硬派なフォークデュオ感が根付いていた。

しかし、2008年以降、外部アレンジャーを積極的に登用し始めるタイミングで、その方程式も木っ端微塵に粉砕する。

「シシカバブー」や「いちご」「LOVE & PEACH」のMVを見てもらったらわかるが、こいつら、わりと踊るのだ。

ちなみにコンサートでは、ビジョンを使ってダンスをレクチャーしながら、ファンと一緒に踊ることな恒例となりつつあり、相当ダンスに熱を入れていることがわかる。

つまり、ベガスもゆずもダンスに気合いを入れているという意味では同じであり、振り付けを取り入れやすい音楽を意図的に作っているという意味でも、同じアイデンティティを持っていることがわかる。

④たまに服装がおかしい

まずはこれをみてほしい。

一人、ビジュアルがオカシイ奴がいたと思う。

つまり、ベガスはそういうバンドなのだ。

ユーモアがあるのだ。

一方、ゆずも女装、コスプレ、時には猿になったりするなど、けっこう「変装」の幅が広い。

つまり、変装癖があるという意味で、ベガスとゆずは同じユーモアセンスを通底していると言える。

まとめ

お判り頂けただろうか?

ベガスとゆず。

一見相反する音楽を奏でてるように見える二組であるが、その根っこにあるものはかなり似ていることが。

だから、ベガスの音楽が理解できないというゆずっこの皆様も、上記のような視点でベガスの音楽に耳を傾けて頂ければ、彼らの格好良さに気づくかもしれないし、奏でてる音楽の「意味」が分かれば、不思議とすーっと耳に馴染むのではないか?と思うわけだ。

ちょうど、ベガスの新譜「New Sunrise」がリリースされており、これまた素晴らしくカッコいいので、ぜひ聴いてみてほしい。

そう言えば、New Sunriseを和訳すれば、新しい日の出、という意味になるが、ゆずのシングルでも「陽はまた昇る」という歌があったわけで、これまたベガスとゆずの親和性を感じてしまう一瞬だったりもする。

百聞は一聴にしかず。

まず、聴いてみてくださいな。

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