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よく「音楽」について談義してると出てくる言葉の筆頭が「○○はパクリである」という指摘である。

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B’zもドリカムもオレンジレンジもロットンも岡崎体育も、そんな言葉に晒されたりしている。

それぞれのアーティストによるその指摘が妥当かどうかは置いとくとして、「パクリ」と指摘される場合、既存の作品と「何か」が似ているからそういう指摘がなされるわけである。

で、パクリと揶揄されるなかで一番多いパターンが、メロディーが似通っているというものである。

これに関しては、ネットで騒ぎが大きくなると現実の音源にも影響が出てくる場合がある。

クレジットを変更したり、場合によっては販売の差し止めが行われたりするのだ。

その一方で、これは「パクリ」ではなく「リスペクト」なのであるという物言いもある。

この「パクリ」と「リスペクト」の違いについて話をしていきたいわけだが、その前に、まずは誰が「リスペクト」と判断するのかによって話が変わるというところから始めていきたい。

これに関して、考えれらるパターンは三つある。

1.作り手本人

作り手本人がこれは「パクリ」ではなく「リスペクト」であると公言する場合、そのリスペクト先に対する思いが、どれほどのものであるのかを言葉にすることが多い。

ましてやパクリ疑惑がネットで浮上すると、往々にして「ちちちちが、違うよ、これは、リリリリス、クリトリ、じゃなくてリスペクトなんだよ!」と言いがちである。

ただ、パクリ騒動が沸き起こる場合、作り手の言葉はそれほど大きな影響力を持たない。

2.リスペクトされた側

リスペクトされた側が、この引用はパクリではなくリスペクトであると断言する可能性もある。

とはいえ、普通リスペクトされた側(パクられた側)は、よほど金にがめつくない限りは、自分の口から「これはパクリでは?」とは言わないと思う。(無断転載とか違法ダウンロードは当然別の話だが)

仮にネットで話題になったとしても無言を決め込み、大人な対応して、動向を見届ける。

動くとすれば、当人ではなくレコード会社などの「周りの大人」であろう。

リスペクトされた側がクチを挟むとしたら、どうやら自分の作品を模倣して作品を作られたことが確定的となり、しかるべきコメントを相手がしなければならない空気になったときであろう。

おそらくその場合「パクリとはけしからん!」なんて言わずに「いや、これはリスペクトだね」なんて言うのである。

実際リスペクトされた側だって、その作品を作る上での「元ネタ」が絶対にあるはずで、そもそもモノを作るという行為は、過去の作品から影響を受けて作るものであるということを承知しているわけだ。

だから、普通のクリエイターはこれはパクリだ!パクリだ!なんてうるさく言わないし、むしろそういうことに対して寛容なのである。

3.聞き手・リスナー

やはり、その引用が「パクリ」なのか
「リスペクト」なのかを判断するうえで一番影響力を持っているのは、聞き手やリスナーだと思う。

彼らが「パクリ認定」すれば、それはパクリになるし、彼らが「リスペクト認定」すれば、それはリスペクトになる。

では、彼らがパクリなのかリスペクトなのかの線引きをするのはどこなのか?というのが次の問いになってくる。

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これは、引用したアーティストに対する思い入れの強さとか色々な尺度があると思うが、もっとも一般的に言われているのが「そこに愛があるかないか」ということである。

つまり、引用した作品に愛があればリスペクトであり、愛がなければパクリというわけだ。

わかりやすそうで、わかりにくい例え。

愛もまた、抽象的な言葉である。

そもそも「愛」とは何か?

そこから話を始めないといけない。

「パクリとリスペクトの違いは愛があるかないかの違いなんだよ」なんて言う奴に限って、恋人と付き合ってすぐは「一生愛してるからね」って言うくせに、三ヶ月後には別れてしまって違う恋人を作るような奴であり、あるバンドに対して力の限り♡を振りまいていたのに、若くてイキのいいバンドが出てきたら、すぐにそっちに乗り換えるような、音楽ビッチだったりするのである。

要は、お前ごときが愛を語るなよ、という奴に限って、パクリとリスペクトの違いは愛なのであると威張りがちなのである。

まあ仮に浮気とは無縁の人だとしても、1組のバンドのみに貢ぎ続けている人だとしても「愛」とは何なのかについて語るのは難しいと思う。

愛なんて、容易く言葉にはできないわけだ。

それでも、パクリとリスペクトの違いは愛があるかどうかなのだと言い張るなのだとしたら、どうやってそこに愛があるのかどうか見抜いているのか、という話になる。

結論として言えば、どういうふうに作品を引用しているのか、というところがポイントになると思う。

もちろん引用物に対する想いの強さが大事なのだ、みたいな精神性を強調する人もいるのだろうが、思いの丈なんてぶっちゃけ当事者にしかわからないわけで、普通は引用の仕方でのみ、そこに愛があるかどうかの判別がなされる。

では、パクリとリスペクトの引用法の違いとは何なのか?愛があると認められる引用とはどういうものなのかについて細かく考えていきたい。

考えれらる尺度は3つだと思う。

①細かい部分の模倣

②簡単なところだけ真似する→パクリ
大変なところも真似する→リスペクト

③真似したことに対する理由なり意味がある

音楽において、パクリと言われる一番の部分は、メロディーだと思う。

わかりやすいからというのもあるが、メロディーを真似することは簡単だから揶揄されがちなのだ。

もし、メロディーを拝借するとしても、この部分のこういう使い方だけピックアップして取ってきました、みたいな「細かい引用」であれば怒られることはなく、むしろ愛がある、これはリスペクトだと評される。

けれど、簡単にメロディーラインをまるまるそのまま取ってきました、となると、多くのリスナーはこの拝借には愛がなく、ただのパクリであると非難する。

パクリ方に時間をかけているのかとか、細かいところに気を配ったパクリ方をしているのかとか、聞いていけば納得できる「努力」が見えると、このパクリには愛があると判定されやすくなるわけだ。

真似をするのが難しいギターリフだけそのままマネするとか、他の人は見逃しがちな瑣末な部分をそっくり模倣するとか、そういう「工夫」のあるパクリに関しては、わりとネット世論も好意的なわけである。

努力のあるパクリ=愛がある認定=リスペクトという流れになるわけである。

魂は細部に宿るというわけだ。

また、岡崎体育の「MUSIC VIDEO」のように、ある種のパクリの集積を集めることで、ひとつのメッセージを提示するというタイプの作品になると、それはパクリではなく、リスペクトであるという評価がされるわけだ(あれはディスではなくリスペクトなのである)。

この辺り、ひとつのパクリに対してリスナーがどう判断するのかが大事なのだというわけだ。

ただ、本文でも指摘したが、創作というのは過去の作品の引用によってしかなり得ない。

0からモノを作るとか、一から新しいものを作るというのはあり得ないのだ。

仮にそれができてると思っていても、それは世に溢れている作品を知らないからそう言えてるだけであり、本質的にそれをすることはできない。

だから、何でも何でもパクリと非難するのではなく、もっと穏やかな目で音楽を聴いた方がいいよなあ、と思ったり思わなかったり。

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