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世代ごとの「ロック像」というか、ビビッとくるロックのエッセンスというか、そういうものの違いってのはあると思う。

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若いバンドはなんだかんだで三局化の流れがあって、ひとつは、とにかく「盛り上がる」ことだけに焦点を当てた音楽。

とりあえずテンポを高速化して、踊れて、盛り上がれることを重視した音楽の氾濫である。

フェスという舞台で人気者になるには、このフックがどうしても必要で、出てきた当初はアングラだったフレデリックや夜の本気ダンスもそういうフックを使うようになって、お客を集客し出したのは周知の通りだと思う。

その一方で、暴れることとは対極の、言うなれば、お酒飲んでユラユラと音楽に酔いしれるようなノリで楽しめる音楽の需要というのも出てきてはいる。

Suchmosなんかがその筆頭だし、ネバヤンやナルバリッチなんかもその流れに乗っかるべく、活動に勤しんでいるような印象を受ける。

これが2つの潮流で、このどちらかによる距離を置けば置くほど、微妙な人気になりがちになっている気がする。

ただし、この流れから逸脱しつつも人気者になるという手段がひとつあって、レキシとか岡崎体育とか打首のように、別のベクトルでの「面白さ」をフックにするという作戦。

四星球がここにきて脚光を浴び出したこともここと繋がる話だと思われる。

ただ、何れにしても、これらの要素は若者の心に刺すには重要な要素で、これらの要素が一切ないバンドは、どうしても若い子からはスルーされがちなのである。

90年代後半にはブイブイ言わせていたDragonAshやくるりでや銀杏(ゴイステも含めてのカウント)であれ、00年代前半にはブイブイ言わせていたテナーやACIDMANやバンアパであれやフジファブであれバックホーンであれ、そのひとつ下の世代となる、9mmやミイラズやTHE BAWDIESや凛として時雨やポリシックスであれ、(ワンマンはともかくフェスシーンにおいては)少しずつ厳しい局面を迎えている印象を受ける。

まあ、こうみると00年代ブイブイ組ではBUMPとホルモンが、そのひとつの下の世代ではサカナクションとドロスが別格となっていたりするのだな、そこを掘り下げると本論と話が逸れてしまうので、今回は割愛する。

さて、前述したバンドは若いライブキッズに刺さりづらく、故にフェスにおけるステージ動員数を減らしつつあるというのが個人の所感であり、実際新曲リリース時におけるyoutubeの再生数の伸びなさはこれを物語っている。

なぜこうなったのかというと、若者に媚びた音楽をしていないからだ。

確かに9mmや時雨なんかは楽曲の速度的には、人気若手バンドと通じるものがあるが、その本質は「躍らせる」こととは違うわけで、やっぱり若者に刺さりづらい音楽であることは否めない。

若手バンドと前述の中堅バンドとの違いは、楽器の音の魅せ方(聴かせ方)だと思う。

昔のロックだと、2番のサビが終わるとかっちょいギターソロが始まり、そこで観客のテンションがさらに上がる、ということが往々にしてあったが、今のライブキッズにとっては、2番のサビ終わりのギターソロは「休憩」でしかない。

少なくとも、ギターソロを聴いて「うおおおおお」となる数は減っているし、人によってはギターソロは一切聴かずに大サビに備えて、いそいそと人の上をよじ登っている奴がいたりするわけだ。

面白いのは、そういう奴らは音楽なんてマジメに聴いておらず、音楽なんて盛り上がるための道具としてしか思っていないのではないかと思い、例えば、途中でボーカルが完全に歌うのをやめてしまってサビを始めたりすると、全員ピタリと動きを止めて、ポカーンとしたりするのだ。

ここに、今の若者の音楽の接し方の根本が見えるような気がする。

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彼らは「盛り上がれたらそれでいい」というわりには、鳴らされている音楽が予定調和外になることをすごく嫌うのだ。(DJイベントなんかで知らない曲が流れたときの反応の冷たさもこれに起因する)

鳴らされている音楽の衝動で動いているのではなく、音楽の全てを予定調和として組み込み、サビ前のここでまずはリフト→そこからサビに入ってどかーんって音が鳴ったらそこで転がる、みたいな想定されたノリ方で楽しむことが、彼らにとっての「音楽の楽しみ方」なのである。

だから、予定調和を覆すようなことをされてしまうと、途端に「きょとん」としてしまうのだ。

とやいやい言ってきたが、要は音楽の「聴く部分」「魅せられる部分」に、世代ごとの違いが生まれているというわけだ。

音楽に対する接触の仕方って「世代性」が出るよねーという話。

ちなみに、00年代であれ、10年代であれ、ロックにおいては媚びる路線と媚びない路線というのがある。

2000年代はじめで言えば、青春パンクロックなんてものが流行ったが、ここにのっかった人はまさしく音楽的に「媚びた」と思われていたわけだ。

友情とかトラウマとか夢とかそんな少年漫画のようなキャッチーなテーマを、シンプルなバンドサウンドで贈る、等身大っぽさが出てる音楽、それこそが青春パンクロックなわけだが、
「パンク」と言いながら、そこに宿るのは反骨でもアンチテーゼでもなく、流行りへの乗っかりと、下手くそな演奏の言い訳でしかなかったのだ。

だから、当時の若者には刺さったが、それ以上の広がりは生まれなかった。

青春パンクロックに熱中してた人は歳をとると「冷めてしまい」彼らから足を洗ったのた。

そして、ブームは去ってしまう。

確かに音楽的観点からみれば「手を抜いた」と思われても仕方がないような音楽だった。

この青春パンクロックに明らかに対立としていたバンドが、先ほど述べたテナーやACIDMAN、あるいはバンアパだったりするわけだが、彼らは「流行り」にはノーを突きつけ、自分たちの個性を掘り下げた。

エルレの細美だって、パンク性というところで青春パンクロックと結びつけていた人もいたかもしれないが、洋楽的エッセンスを始め色んな音楽的試行(=個性)を取り入れた点で、明らかに流行りの青春パンクロックとは違っていた(だからこそ、未だに語り継がれるわけだが)。

青春パンクロックがダメだったのは、ハイスタ的にメロコアとかブールーハーツ的パンク要素のみをパクリ、そのままそれをどーんと提示したから。

洋楽エッセンスもなければ、他のロックジャンルへの参照は乏しく、おいしいところだけを持っていってしまったような感じ。

言ってしまえば、工夫がなかった。

だから、青春パンクロックは消えたわけだ。

もちろん、青春パンクロックと標榜されながらガガガSPのように一貫として志を持って、今でも活躍しているバンドはいるし、青春パンクロック=勝ち馬に乗ろうとして失敗したバンドという認識自体は誤りではあるのだが。

が、やはり「音楽」に対する意識の持ち方として試行錯誤と、己の個性との向き合い方が足りなかった、とは言わざるを得ないのかもしれない。

何の話がしたいのか忘れてしまった。

要はロックには「流行り」が生まれがちで、さらにその「流行り」は世代ごとに違いが生まれるが、いつかはそれは消滅して、また別の波がくるし、その頃にはその下の若手はさらなる「流行り」を生み出すのだろうという話。

けれど、この50年くらいの射程でロックをみると、どんどん楽器の音に対する無関心感が生まれていること自体は否めないので、次の波がくる頃には、我々おっさんにはさらに理解しがたい波がくるのかもしれない。

うむむむ。うむむ。

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