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考えてみてほしい。

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サンボマスターがもしイケメンなら、あんなライブパフォーマンスをしていただろうか。

一曲における尺の配分は「歌う」よりも「叫び・語り」を重視し、熱い言葉とメッセージで観客全員に語りかけるあのスタイル。

たぶん彼らが「イケメン」なら、あんなスタイルにはなっていなかったと思うのだ。

こんな俺らだけど、それでも伝えたいことがあって、こんな俺らだからこそ、あんたたちのために全力で歌うんだよ、的なパフォーマンス。

色々とライブをしていくなかで、自分たちのビジュアルで一番映えるパフォーマンスとは何なのだろうか?という試行錯誤をした果てに、あのパフォーマンスになったのだと思うのだ。

そういう意味では、サンボマスターだって十分に「ビジュアル系」だと思うのだ。

あるいは、ラルクのhydeのビジュアルがサンボの山口みたいな感じだったら、絶対にあんな立ち振る舞いをしてはいなかっただろうし、あんな曲を作ってはいなかっただろうと思う。

これは、同じ山口だからということで、サカナクションの山口とサンボマスターの山口を入れ替えたときの絵面を想像してほしい。

そのうちサカナクションになったサンボマスターの山口は、そのうちアイデンティティの尺の半分を語りにしてしまうだろうし、サンボマスターになったサカナクションの山口は、そのうち語りの尺はゼロにしてその部分をインストに書き換えてしまうと思うのだ。

何が言いたいか。

音楽とビジュアルというのは、関係性が凄く濃密なのだ、ということだ。

ビジュアルと音楽は切り離して考えるべきであるとか、「ビジュアル系」は音楽そのものを指している言葉ではないから忌避するべきだなんて指摘もあるが、それは違うと思うのだ。

勘違いしてほしくないのは、バンドマンが自分のビジュアルを生かして顔ファンを増やすということと、ここでいう「ビジュアル系」の話はまったく無関係だということだ。

インスタとかで顔写真をアップして顔ファンを喚起させることと、自分の作る音楽に寄せて見てくれを整備することはまったく違うことだ。

ここで言いたいのは、あくまでもバンドマンのビジュアルによって、そのバンドが作る音楽の種類や方向性は導かれがちだということであり、作りたい音楽が明確なバンドは意図的にその作りたい音楽にビジュアルを寄せがちである、という話である。

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SiMのMAHはあえて悪魔臭漂う見てくれを選んでいるようにみえるが、あれはまさしく自分の作る歌に寄せているからだと思う。

レキシの池ちゃんがあんな服装をしているのは、自分が「歴史の歌しか歌わない」という覚悟を決めているからだと思う。

ベガスのメンバーがなんか派手なのは、音楽的に雑多だからだと思う。

藤くんが前髪を隠して視界を隠している(そして、視力も悪い)わけだが、これだって歌詞が内向的であることとリンクしてるわけで。

ミセスの大森がなんかやたらとキラキラ感を増しているのも、曲のキラキラ感を増大させたいからなのだ、たぶん。

要は、ビジュアルと作りたい音楽はリンクするし、そのままでリンクしないならバンドマンはわざと寄せるようにしていくということ。

そういう意味で、どのバンドも「ビジュアル系」なのだという話。

そういうことを踏まえると、ヘイスミの猪狩が髪を切ったのは、実は音楽的に表現したいものが変わったからなのではないか、とふと思ったり。

相撲の力士がチョンマゲを切る的な感じなのだ!(たぶん、違うけども)

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