LINEで送る
Pocket

どっかの誰かが誰かの音楽のことを「インスタ映えする音楽」と言っていた。

スポンサーリンク

この発言の是非や、発言に揶揄される意味については掘り下げるつもりもないのだが、ひとつ気になるポイントがあった。

「インスタ映えする音楽」というのは、どうやら悪口であるという事実。

これが引っかかった。

確かにTwitterなんかでみてみると、この言葉にまつわる大方の人の反応として、自分の好きな音楽を「インスタ映えする音楽」と言われたら許せない、と感じている人が多いようだ。

なぜだろうか?

例えば、デザートに対する褒め言葉として「インスタ映え」という言葉はあり得ると思う。

要は、このデザートは味だけじゃなくてビジュアルにも工夫があり、そのデザートを撮影してインスタグラムに投稿すると、それだけでたくさんの「いいね」が貰えるくらい、デザインセンスに優れている、という意味が込められていると思うのだ、この言葉には。

贔屓目にみて、、「インスタ映え」という言葉は、そのデザートを貶している物言いには聞こえない。

あるいは、フェスにいって「この場所、めっちゃインスタ映えするやん!」と言った時、その言葉に揶揄は含まれているだろうか?

そのスポットで撮影した写真をインスタグラムに投稿するだけで、たくさんのいいねがもらえるし、その写真を投稿するだけで充実した日々を過ごしている自分を演出できる、という意味は含んでいるかもしれないが、そのスポット自体をバカにする意味はまずないだろう。

この二つにおいて「インスタ映え」に揶揄する意味があるとしたら、お前の価値基準はインスタに映えるかどうかにしかないのか、という発言者に対する非難はあり得るかもしれない。

けれど、モノそのものに対しての印象は「ビジュアルに工夫があって凄いなあ」という肯定のニュアンスはあっても、そのものを性質や中身を批判する性質はない気がするのだ。

ところが、これが音楽に対して使う言葉となると、揶揄する言葉に早変わりするというのだ。

「インスタ映え」とは、本来は視覚的要素に指して使う言葉である。

スポンサーリンク

前述の2案件に関しても、視覚に対する感想として「インスタ映え」という言葉が出てきた。

だから、同じ音楽にまつわる「インスタ映え」であっても、サカナクションのライブは照明とかが凄くて「インスタ映え」するなあ!とか、Dragon Ashのライブはダンサーがたくさんいて迫力があるから「インスタ映え」するなあ!とか、BRAHMANのトシロウの筋肉は間近で見るとやっぱり凄くて「インスタ映え」するなあ!とかなら、批判の言葉ではなく、純粋な褒め言葉として機能するように感じる。

つまり、視覚的情報を指差して「インスタ映え」するというのは、褒め言葉に近い印象を与えるわけだ。

だって、それだけ視覚的に凄い、ということを示しているわけで、よほどインスタに嫌悪感を持っていなければ、disられているなんて考えもしないと思うのだ。(もちろん、その価値がインスタに収まるとは到底思えないという反論はもちろんあり得るのだろうが)

しかし、聴覚的情報を指して「インスタ映えする」と表現したとき、この言葉の意味合いは大きく変わる。

たぶん、このときの意味合いは「見えるところ=表面だけを取り繕った音楽」というニュアンスに変わるからだと思う。

もっと言えば、その音楽は表面しかなくて中身が空っぽで、魂がこもっていない薄っぺらい音楽である、なんてニュアンスまで含まれてくるからだ。

ましてや、「オシャレ」がウリな音楽に対してそれを言えば、その冒涜性がさらに増してくるという構造もある。

でも、それは「インスタ映え」という言葉の可能性、引いてはインスタそのものの可能性すらも閉じ込めてしまった酷い言葉遣いであり、インスタは所詮視覚的媒体をアップするだけのツールという価値が氾濫していることが明らかになったとも言える。

今なら、インスタライブだってあるし、インスタを通じて生で音楽を発信することだってできる。

ならば、インスタライブで映える音楽=「インスタ映え」という価値提示だってあるし、そういう価値が通底することになれば、音楽を指差して「インスタ映え」と称したって悪口にならないと思うのだ。

別に大した結論はないけれど、音楽にもインスタにももっと色んな可能性があるし、それを閉じてしまうような物言いや価値判断に対して苦言を呈したくなったというそういう話である。

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket