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ぼくりり君がクラウドファンディングで資金を集めて、新しい音楽メディアを作ろうとしている。

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こういうチャレンジ精神を僕はすごく応援したいし、パッケージを作ってからお金取るモデルはもう終わりで、これからのエンタメにおけるお金の回収の仕方はクラウドファンディングみたいに、ある種の先払いでいいんじゃないか派なので、この流れはすごく良いと思うのである。

ただ、このことについて、少なからず考えてしまうこともあるわけで、そのことを簡単にまとめてみたい。

まずは、ぼくりりくんが新しい音楽メディアを作るとなった動機である。

曰く、

つまり、ぼくたちの周りにある情報の量が多すぎるのです。

本来ぼくたちが情報を受け取って処理するプロセスは、「受信→(反芻→経験との比較など→)理解→送信」という流れなのですが、 情報を受信する量が多すぎるために、「受信→送信」という状態になってしまいがちです。

理解が追いつかないほどの情報に忙殺されています。

ですが自分の意志や感情は、身の回りの情報をきちんと咀嚼した上でのみ存在するとおもいます。

そうでなければ、これからどんどん増えていく可処分時間を、日々量産されるコンテンツで埋めていくだけになってしまうのでは、とおもいます。

最近話題のキュレーションメディアの一件でも考えさせられましたが、真摯な調査に基づいて導かれた正しい情報も、アルゴリズムによって無限に生み出される粗悪な情報も、おなじ「情報」として世の中に溢れています。

情報が氾濫する、まさしく「情報の洪水」の時代で、きちんとものを考えることが出来るようになりたい。

テクノロジーがあらゆることのハードルを引き下げていく中で、やりたいことはなんでも出来るようになるぼくたちにとって、最も大事なものは自分の意志なのではないかとおもいます。

そして、その意志を生み出すのは、正しく理解して自分の血肉となった情報たちなのではないでしょうか。

ぼくは、情報を自分の知恵とするための武器が欲しいと、強く感じます。

だからそれを作ろうと思いました。

そのために、今回のメディア「Noah’s Ark」を企画しました。

まあ、こんな僕みたいなサイトなんて情報におけるまさしくノイズなんだろうなーと思っていたら、この前、Twitter上で映画・音楽ジャーナリストである宇野維正さんとぼくりり君がやり取りしていて、ぼくりり君がこんなことを呟いていた。

@uno_kore 評論家の方々が書かれている、意味わかんないけどいい感じにみえる抽象的で曖昧な言説って、いま氾濫してるノイズのひとつだと思うんですよね 無意味

で、そういうのに惑わされないような力をみんなが持ってる方が楽しい世界になるな、と思って今回メディアをはじめました

ちなみにこれ、宇野さんのツイートに対する批判的な言葉なんだけども、要はその時の宇野さんのツイートが何を言っているのかわかりづらく、小賢しいと指摘したわけである。

その指摘が的確なものかは置いといておこう。

ここで僕が思ったのは、相手が発信した情報を理解できるかどうかというのは、結局のところ、受け手側の教育水準あるということである。

教育水準という言葉がまずいなら、文化的コードという言葉に言い換えてもいいかもしれない。

簡単にいえば、僕たちが海外のコメディをみても面白いと感じないのは、僕たちがその海外の文化を理解していないからだし、逆もまた然りであるということである。

ぼくりり君の歌詞だって、たぶん普通の高校生からしたら、「意味わかんないけどいい感じにみえる抽象的で曖昧な言説」のカタマリだと思うわけだ。

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ぼくりり君の今回のシングルも、まず「ノアの箱船」というものが何なのかわからなければ、そう感じることであろう。

では、ぼくりり君の歌詞は意味がわかりづらいと考える若者が多いから、多くの若者にとってぼくりり君の歌詞は無意味なのか?と言ったら、そんなことはないと思う。

わからないにもわからないなりの意味があるし、わからないだって色んな水準や接し方があると思うわけだ。

「わからないもの」に接したとき、それを調べる若者と、わからないままを理解することは諦めて、わかるものに逃げ込む人で別れると思う。

調べる側の人は辞書なりググるなりでそれを調べるわけだ。

その際、ネットに死ぬほど情報があることを知り、どれが正しい情報なのか選別できず辟易してしまうから、もっと調べやすい制度設計を作るべきであるという話は、今回のぼくりり君の話にも繋がる。

また、調べない人は基本的に内にこもりがちである。

余計な情報には触れず、自分の知りたいものだけ情報を摘んでいくことだろう。

TwitterなんかのSNSは自分にとって肌触りの良いもの・情報のみを選別してしまい、ひどく視野狭窄に陥らせる。

そういう意味で、大文字として機能する大きなメディアの存在は大切だと僕は思う。

ぼくりり君のメディアはどちら側に寄り添うモノなのかよくわからないので、そういう意味でどうしたいのだろう?という気持ちにはなってしまうわけだ。

自分の価値観でモノを判断しているつもりが、逆にすごく小さな範囲しかモノを見ることができなくなってしまい、己の作るメディアがただの自意識のカタマリになってしまえば、それこそただのノイズになってしまう、このサイトのように。

ちなみに今、ぼくりり君は新しいと言われているが、音楽の価値なんて時代とともに簡単に変容する。

良い意味でも悪い意味でも。

思えば、アジカンやBUMPは昔は軽音楽部に毛が生えたようなクソみたいなバンドだ!みたいな言説が色んなネットメディアでは大きかったが、今では奴らこそが、日本が誇る本物のロックである!みたいな意見がネットメディアでは散見されるし、あの宇多田ヒカルですら、最初はただのアイドルとしか見られていなかったし、椎名林檎は寺山修司をメンヘラにしただけの奴だよ、なんてうそぶられていた(たぶん)

でも、今は違う。

ほとんどの人が、日本が誇る本物のアーティストと信じている。

今はノイズとしか思われていない音楽が、いつか宝物になる可能性だってあるわけだ。

そして、それは悪い意味でも同じことがいえる。

なにより、これはメディアでも同じことがいえると思う。

自分の力で判断するというのは本気で難しい。

だって、誰だって人に影響されて生きているのだから。

人の価値観に共感するか反発するかして、己というものが出来上がっていくのだから。

それでも、ぼくりり君はそういう行動を起こしたのだから、あとはどんなとんでもないモノを作るのか楽しみであるという話。

これでも、僕は期待をしていますよ。

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