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メンヘラというのは本来精神疾患を現す言葉の一つだったように思うが、いつしかそれは構ってちゃん女子の属性を示す言葉に成り下がってしまった。

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少なくとも「○○ってメンヘラだよな〜」と揶揄するときの「メンヘラ」はおそらく下記のような意味合いで用いられることが多いように思う。

1.寂しがり屋
2.かまってちゃん
3.ネガティヴ
4.人に対する依存度が強い
5.過剰に嫉妬する
6.ファッション「リスカ」

寂しがり屋ゆえに人(特に異性)に対する依存度が強く、寂しがり屋ゆえに常に病んでしまってるただの痛い子、みたいなニュアンス。

これって、本来的な「メンヘラ」という言葉とは大きくズレがあるわけだ。

もちろん「自分はメンヘラ」と申告してる人の中には、薬がないと生きていけないっていう、本当の意味での精神疾患な「メンヘラ」な人もいるとは思うけども。

とはいえ、「メンヘラ」という言葉をどう使おうが個人的にはどうでもいいし、なんちゃってメンヘラ女がリスカするする詐欺をすることだって、個人的にはどうでもいい。

ただ、「メンヘラ」という言葉をポケモンの属性のように扱うのはどうかと思うし(本当にメンヘラで大変な人が余計な偏見に晒されるわけだし)、その属性をひとつの武器にして自分のアイデンティティにしてしまうのは如何なものかと思ってしまう。

いや、別にミオヤマザキをdisろうというわけではない。

確かに同じ「ヤマザキ」ならアンタッチャブルの山崎の方がまだ好きだし、アンタッチャブル山崎よりは山崎パンの方が好きだけども。

ちなみに、山崎パンなら「チョコチップスナックパン」が好きだし、朝ごはんがそれなら少しテンション上がるけども。

閑話休題。

僕が言いたいのは「メンヘラ」を記号のように振りかざし、それをアイデンティティのように玩び、挙句、それを個性の一つにしてしまうのはどうなのか?という話である。

なんというか、「個性の安易化」が進んでいる気がしてならないわけだ。

この「個性の安易化」とは、実生活でもSNSでも言えることだと思う。

ほら、Twitterによくいるでしょ?

ぜんぜ〜ん面白くないのに、Twitterで「おっぱいおっぱい」と連呼して、「俺・私は下ネタキャラですよ」と勘違い設定しちゃう奴。

おっぱいと連呼するだけで、自分の「個性」を付けようとしているわけだ。

こういうキャラ付けのはただの怠慢という他なく、こういうやり口を「個性の安易化」と言いたいのだ。

下ネタキャラだけじゃない。

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「ゆるふわ」も「害悪」も「卍」も「陰キャラ」構造としては全部同じだ。

キャラ付けのために努力するのは面倒だけど、個性というものには憧れるし、あればとても便利だから、なんかテキトーにそれっぽく振舞って、自分はそういうキャラでいこうみたいなノリ。

どうしても、怠け者の思考が透けて見えるわけだ。

例えば、同じ下ネタキャラでもリリーフランキーの振る舞いを見てほしい。

彼は「こういうふうに見られたい」という計算をしたうえで、言葉を選び、モノを発言している。

要は、すごく頭を使い、努力をしたうえであの境地に立っているわけだ。

同じ「下ネタキャラ」でも、その辺のツイッタラーとは天と地の違いがあるわけだ。

「おっぱい」と呟く程度で「下ネタ言えちゃうキャラ」になったつもりなら、それは安易であると言いたいわけだ。

で、「メンヘラ」という要素も、上記と同じくして「個性の安易化」のひとつとして利用されがちだというわけである。

本来、個性って、そう簡単に宿るものではない。

見えない努力を積み重ね、その先にやっと芽が出てくるようなものこそが「個性」なのだ。

安易に設定できる個性なんて、個性じゃないと思うわけだ。

とはいえ、個人が安易に個性を宿すのは個人の自由でやればいいとは思う。

別に僕はTwitterで「おっぱい」と呟いた奴を取り締まるおっぱい警察になろうとも思っていないし。

あえてお節介を言うならば、薄っぺらい個性だけを身にまとってしまった結果、おっさん・おばさんになった頃になって、悪臭しか漂わない「中身のない人間」にならないようにさえ各々が注意しておけば、それでいいと思うのだ。

問題は、「個性の安易化」が個人だけでなく、アーティストやバンドマンにも波及していることである。

例えば、音という話でいえば、「個性のある音」とは、努力に努力を重ねて色んな試行錯誤をした結果、できる上がるものだと思うのだ。

けれど、今の若い子たちは足し算の音楽に囚われてしまい、使う楽器の差異だけで強引に「個性」を作ろうとすることがしばしばなのである。

もっと色んなことに目を向けて音を作れば、足し算をしなくても「個性」って宿るんじゃないの?とか思ったりするわけだ。(逆に音の引き算した途端、「個性」がなくなればやっぱりそれは個性ではないわけだ)

音だけじゃなくて、振る舞いでも言えることは多い。

例えば、違法アプリで音楽を聴くことすらも擁護したりして、そういう「害悪」すらもひとつの「個性」のように扱っちゃったりとか。

そういうのって、絶対に良くないと思うのだ。

個性とは何か、ということを今一度改めて考え直した方がいいのではないか、と僕は思ったりする次第である。

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