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今日、大阪で地震が起こった。

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震度6弱という大きな地震。

大きな地震が起こったということは当然ながら各所で被害が出ているだろうし、まだ余震だってあるだろうから気を抜いてはいけないだろうし、だからこそお互いを知恵を出し合って災害を乗り切るべきだ。

また、ニュースでも報告されている通り、亡くなった方もいればケガをした方もいるので、当然ながらそういう人をバカにするような発言は絶対に慎むべきだ。

それは、当たり前であり、ベースとして持っておかなければならない倫理観である。

が。

その倫理観がエスカレートして、ちょっとしたボケをTwitterなんかでツイートをすると、それを「不謹慎だ」と言い、過激な言葉でボケた人間を罵る不謹慎厨がどこからともなく現れる。

確かに特定の誰かを侮蔑するような言葉、明らかにその言葉を聞くことで傷つく人が出ることが想定される言葉は慎むべきだし、そういう言葉はある程度非難されてもしょうがない。

けれど、上記のような内容でもないような「ふざけたツイート」でも糾弾されている事態を散見すると、「ん?それはちょっと違うのでは?」と思ってしまう。

過激な不謹慎厨はただの言葉狩りになる。

RADWIMPSの「HINOMARU」で非難していた人を非難していたような人が、震災における発言においては過剰なまでの言葉狩りをしている事例を見たりすると、なにやら香ばしいものを感じてしまう。

いや、別に無理にボケる必要もないし、つまらないものはスルーしたらいいとは思う。

けれど、それを過剰なまでに罵ったり誰かのことを盾にするようにして「不謹慎」として言葉狩りをする、そういう振る舞いには個人的にモニョるものを感じる。。

そもそも、この言葉、誰が誰に対してどう不謹慎というのか?

そんなことを思うこともある。

スケールは違うけれど、RADWIMPSの「HINOMARU」だって同じような構造だと僕は感じた。

自分が気にくわないと思うものを発言に対して、難癖をつけて過剰なまでに糾弾する。

そんな姿勢こそ、僕は嫌悪感を感じてしまうわけだ。

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ちなみに僕は大阪府民だったから思うんだけど、本当に被災していてヤバかったらTwitterなんて見る余裕はないからそこにどんな言葉が溢れてるかなんて気にしないし、ある程度落ち着いたらTwitterを見るからTwitterくらい「いつも通り」であってほしいと思う。

Twitterで情報を探す場合は検索で情報を探すから別にどんなツイートが溢れていても関係ないし、「外野の人」はいつも通りのツイートしてたらいいと思う。

だいたいゆっくりタイムラインを見れてるあなたはわりと余裕があるわけでしょ?

だから、いちいち他人のボケたツイートにイラっとするんでしょ?

そんなに正義感も時間があるなら、もっと「人のため」に時間を割いたりいいのにーって思うのだ。

別にボランティアをしろって話ではないけど、糾弾するんじゃなくて誰かのプラスになることをしたらいいのにって思うのだ。

いずれにせよ、過剰なまでに不謹慎って言って人を罵る人に限って、自分以外の相手のことを考える想像力が足りてない。

というか、足りていないから、誰かを汚い言葉罵ったりするのだ。

まずは、考えてほしい。

人に接するとき、その言葉が相手にどんな影響を与えるのか?

その想像力が欠けている言葉は、どんな正義感から生まれた言葉だとしても響いてこないし、それこそ誰かを傷つける刃にしかならないよ、と。

というわけで。

こんな時こそ、どんな人に対しても思いやりを持つべきだって思うし、まだ気が抜けないときだからこそ、お互い良い意味で知恵を出し合って、時にユーモアをもってゆとりを持ちながら、よりよくこの災害を切り抜けたらいいのではないかと思う次第。

そんな話。

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